飲酒運転事故の増加

飲酒運転撲滅キャンペーンが盛んである。それ自体は別に構わないが、酒飲みでマイカー持ちに飲酒運転の「前科」のない人などほとんどいないと思うのに、「どうして自制できないでしょうかねえ」などと無邪気に言い放つ人が多いのには、正直なところ腹立たしいものを感じる。

もし飲酒運転が本当にそんなに多いのだとしたら、その人のだらしなさだけではなく、飲酒運転を取り巻く環境ににも問題があると考えなければならないのだろう。そもそも特に地方の人間にとって飲み会をするにも車がないとほとんど不可能という現実を、「どうして自制できないんでしょうかねえ」と言い放つコメンテーターたちは理解しているのだろうか(理解した上で言っているとしたらとんでもないことである)。地方では車がないと遠出はできない。飲食店はほとんど大通り沿いにある。明らかに飲み屋としかいいようない店も乱立していて、特にほとんどビールが必需品である焼肉屋が多い。国道沿いのスーパー銭湯に行くと、風呂上りの一杯をやっている人たちがたくさんいる。まさか彼らは、一時間に一本しか通らないバスを使ったり、5キロ以上も離れている駅から歩いてスーパー銭湯にやって来たわけはあるまい。代行やタクシーを使えばいいじゃないかと言っても、下手するとそれだけで飲み会でかかる費用を優に超えてしまう。とりわけ、年収300万以下の人にとっては代行やタクシーはかなりの贅沢品であり、一年に一度も使わないことが普通である。

もちろん、こうした事情は飲酒運転の言い訳にはならない。しかし、環境を改善することなく厳罰化だけが進むのは、世の中が息苦しくなるだけであまりいいことではない。地方自治体の中には飲酒運転の切符を切られただけでクビを決めたところもあるらしい。行政として範を示したつもりかもしれないが、小さな過ちに対する「反省」「更正」のチャンスを全く与えないことが果たして「範」なのだろうか。むしろ私には、こうした行政の「厳罰化」の姿勢は「飲酒運転事故でうちがニュースになったら困る」という、体面を極度に気にした保身的な態度にしか見えない。厳罰化を一概に反対はしないが、そうした安易な方法に飛びつく前に、どうして飲酒運転がなくならないのかの理由を調査した上で対策を講じるという地道な作業がなければ、単に犯罪者を増やす結果になるだけである。

結局のところ、「飲酒運転は多かれ少なかれみんなやっている」という事実から認めるべきではないだろうか。そうでないと、(自分のことを棚に上げた)「自制しろ」という道徳論と厳罰化ばかりが横行して、飲酒運転を生み出す環境そのものへの問題意識がいつまでたっても生まれないのである。しかしどう環境を改善すればよいかというと、難しい問題ではあると思う。