車離れの要因

若者の車離れ深刻 20代前半女性「自動車に興味なし」は45%

9月9日10時15分配信 オリコン

 近年“若者の車離れ”が注目されているが、ネットエイジア社の『自動車に関する調査』によると、20代男女で車離れの傾向が顕著になっていることがわかった。「自動車に興味なし」と答えた20代前半の女性は45.0%で、約半数が「関心がない」と答えており、20代男女を合わせても他の世代より関心の低さが如実に表れる結果となった。
(中略)
 難しい就職活動、上がらない賃金など、厳しい時代を見続けている20代は消費意欲が低く、貯蓄意欲が高いと言われている。“車に興味がない”という感覚も、堅実でつつましい経済観念の表れと言えそうだ。

この問題が出てくると「いまの若者には車を買うほど経済的な余裕がない」とよく言われる。もちろんそれもあるとは思うが、今ひとつ納得できないところもあるので、自動車人口が減っている理由を自分なりにまとめみたい。

(1)少子高齢化
 車離れというと「格差」の話ばかりが先行しがちだが、自動車が売れなくなっている基本的な要因は、やはり人口学的な問題であるという単純な原則をあらためて思い起こす必要がある。70過ぎても自動車に乗っている(乗らざるを得ない)人はもちろん当たり前にいるが、それでも体力や健康の問題で傾向的に減り続けることは普通に考えればわかることであり、その減少分を若い世代の人口規模では埋めること必然的にできないということになる。

(2)都心回帰
 近年の日本の人口動態は、大都市圏だけが増えて、全国地方では軒並み減少しているという傾向がはっきりしている。むかし自動車が激増したのは単にお金を持っていたからという以前に、就職して結婚すると都心から離れた郊外住宅地に一戸建てを買うというパターンが多かったためである。この郊外化の波は大都市圏だけではなく、全国地方でも同様であり、むしろ公共交通の未発達な地方郊外のほうが自動車の必要性ははるかに高かった。しかし今は地方には体力のある企業が減り、地方郊外で育った若者が大都市圏の企業に就職するというパターンが増えている。公共交通の発達している大都市圏に生活の拠点が移っていったことは、当然ながら自動車を所有する必要性も減っていったということを意味する。

(3)「時代遅れ」のイメージ
 少なくとも1980年代までの右肩上がりの経済の時代には、何らかの高級な耐久消費財を所有していることは、ある種のステータスを構成していた。自動車を所有していることは「豊かな生活」の証であり、所有していないことは「時代に後れている」という感覚を与えるものであった。だから昔の日本人は、生活のうえでは特に必要ないとしても、少々無理してでも自動車を購入したのである。もちろんその背景には、終身雇用・年功序列制度が安定していたことで、平社員でも長期ローンを容易に組むことができたという事情がある。
 しかし、1990年代以降の長期不況の時代になると、具体的なモノの所有が「かっこよさ」を象徴するということはもはやなくなり、生活上の必要がなくなってしまうと、自動車を所有することにこだわり続ける人はいなくなった。とくに最近は「健康」「エコ」ブームもあり、中身はともかく「環境にやさしいスローライフ」が洗練された(つまり「勝ち組」の)生活スタイルとみなされ、おのずと自動車主体の生活は、それとは逆のイメージを与えるようになっている。最近の自動車のCMはそのイメージを打ち消そうと躍起になって「エコ」を強調しているが、「エコ」を少しでもまじめに考えれば、結局乗らないのが一番であることは自明であろう。
 それでも自動車にこだわる人は、一部の「マニア」でなければ、まだ自動車にステータスがあると思っている「時代の読めない人間」か、「生活のために仕方なく乗っている」のいずれかでしかない。「生活のために仕方なく乗っている」というのは、安価だが職場からの通勤時間のかかる(そしてしばしば1970年代前後に建てられた古い)郊外住宅地に住まわざるを得ないような、相対的に余裕のない生活を送っているということを意味する。リンク先のコメント欄でも、「地方では車離れなどしたくてもできない」という、自動車生活の息苦しさを訴える発言が目立っているが、少なくとも現在、自動車に対するそうした負のイメージのほうが強くなっているように思われる。

(3)についてはやや微妙だが、少なくとも自動車人口の減少と「格差社会」と直線的に結びつけるのはやや短絡ではないかな、と考える。