公務員と民間職員などの実収入の動きをグラフ化してみる


多少の変化率などどこかにぶっ飛んでしまうほど、官公職員の実収入が高いことが分かる。冒頭でも触れたようにこの額は、通常の給与以外に手当てやボーナスなどの収入も全部あわせて単純に12か月分で割った月収入。各種手当てやボーナスの高さが、官公職員の実収入を押し上げているものと思われる。

官公職員だから税金が高い・安いということはないので、当然可処分所得も官公職員の方が多い。公務員ならではの支出もあるのだろうが、それでも金銭的な余裕があることは容易に想像できる。

http://www.garbagenews.net/archives/599244.html

ブックマークにも書いたけど、まず賃金格差が激しい正社員/非正規の比率がどうなっているのかということが大問題だし、銀行員や一流商社のエリート社員も、中小零細企業外食チェーンの従業員も、一括りに「民間職員」として公務員と比較することに、どれだけの意味があるのかどうかもよくわからない。

だいたい、こういうデータを出せば、一般国民の公務員に対するルサンチマンが爆発することくらい、この記事を書いた人だって十二分にわかっているはずだろう。というか、このサイトのほかの記事との兼ね合いを見ても、公務員削減に世論を誘導したい意図があることは明らかである。変に客観性を装っている分だけ、普通の感情的な公務員バッシングよりもはるかにタチが悪いと思う。

どうも年金生活に入っているような高齢者にかえって公務員への反感が高いようだが、公務員の人員と給料が減れば最も安定的に医療保険や年金を払う労働者層が減ることを意味するし、特に市場の魅力が乏しくて民間サービスの手薄な田舎に住む高齢者にとっては、公務員の削減は大打撃である。市場にとって魅力のない地域や人々を見捨てるわけにはいかないから、税金を通じた行政の介入による支援が必要になるし、そこに少々の「無駄」や「赤字」が生まれることは当たり前のことである。この大原則をみんな忘れてしまっている。

そもそも「行政の無駄」とよく言われるが、最近のニュースになっていることは、「天下り」を含めて大きな組織である以上は有り得るようなことか、近代官僚制が生まれて以来投げかけられてきた、ほとんど聞き飽きたような「お約束」の批判ばかりである。だいたい民間のほうはもっと露骨に無駄をやっている。歩いて15分の圏内に三つもコンビニをたてたり、車で30分の圏内に大型CSが三つもあったり、建築会社や不動産会社も旧来の郊外住宅地の再活用をまったく図ることなく、駅前に高層マンションを乱立させている。こうした「無駄」に対しては、どうして誰も怒りを示さないのだろうか。一方で、地方の自治体の庁舎には、一部の豪華庁舎がよく取り上げられているが、とても「民間では有り得ない」ような、明らかに最近のインターネット環境や空調設備に対応していないような古くてボロボロの建物もかなり多く、業務に支障がでてないのか心配になるほどだ。しかし、それは絶対に報道で取り上げられることはない。

公務員の給与と人員の削減で喜ぶのは、まさに行政サービスに大して頼らず生きていけるだけの収入や財産を確保できている、正真正銘の「既得権者」だけであることを忘れるべきではない。


(4/18)
dennouprion さんのコメントは日ごろ考えていることでもあるので応答。

民間企業の露骨な無駄が問題化されないのは、「強制がない」ということもあるのかもしれないけど、

(1)「消費者も求めているから」という形で責任を外部化できる
(2)最終的に無駄なものは淘汰されるという経済理論上の正論がある
(3)マスメディアがほとんど報道しない・できない

の三点にあるのではないかなと。特に(3)については、公務員だと「カラ出張」でも大問題化されるが、民間企業の場合はやはり広告や名誉毀損の問題があるので、過労死やかなり悪質なサービス残業のような、明白な法律違反か「犯罪」に近いものでない限りでもないかぎり、なかなか表に出てこない。

行政に向けられる「無駄」批判というのは、だいたい民間企業の第一線のサラリーマンのように必死に忙しく働いていない、というルサンチマンでしかないことが多い。行政組織はどうしても生き残りに必死になれない(潰すわけにいかないから)し、自分で仕事を創り出すわけにも行かないから、普段はさほど忙しくないことが多くても、それは組織の性質上別に当たり前のことでしかない。逆に言うと、民間企業の「無駄」な開発は、「必死な生き残り競争」の結果であるからとして、比較的容認されてしまうということではないだろうか。