「労組に言われたくない」という気持はわかるが

kogarasumaru 政治, 国際, 労働 ネオコーポラティズムの実践国と労働なきコーポラティズムといわれたわが国/統一されたナショナルセンターの主流派は御用労組の同盟系…今後も労働者には苦難の時代が続くか? 2009/11/08
shibusashi 労働, 国際, 企業 『労働者の解雇から再就職までのプロセスにおいて労働組合がしっかり監視し規制し再就職支援』コメ欄『全労働者に適用される整理解雇のルール』『オランダのワッセナー合意は既存労働組合が既得権を捨てることで成立 2009/11/08
itsk 海外評論家 2009/11/08
kenyu77 まともに働いたことある人だったら、大手労組と財界が結託して、中小零細や非正規から搾取している、この構図は実感として理解できるはず。日本は資本分配率高いわけじゃないしね。 2009/11/08

http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/kokkoippan/entry-10383432185.html

元記事から読み取らなければいけないのは、フレキシキュリティは財界や政府と真正面から渡り合えるような強力な労働者代表組織の存在を前提にしているということであって、それを抜きにしたフレキシキュリティ論はおよそ能天気で非現実的なものでしかない、ということだろう。フレキシキュリティはあくまで労働組合の組織形態と、財界との力関係のなかで出来上がったものであって、「労働組合既得権益を手放した」という美しい話ではない。端的に言えば、労働組合が利益団体としての権力が非常に強力であるからこそ、主体的に「既得権益を手放す」ことも可能になっているのである。

批判している人たちは、日本の労組が集権的な意思決定能力を持っていないのに、「既得権益を手放すべき」などと言っている点で根本的に間違っている。もちろん、「労組に言われたくないよ」という気持はわかりすぎるほどよくわかるけど(元記事の批判されるべき点はほとんどここだけで、批判している人もこれ以上の批判をしていない)、経営者に比べて圧倒的に権限がなく、世論からの支持も脆弱な労組を批判するのは、溺れかかっている犬を叩くものでしかなく(だからこそ叩かれまくっているわけだが)、まったく本末転倒というものだろう。

だから、企業別組合の伝統があり、組織力も弱くて(職場によっては許されていない)、労働者の代表組織としての正当性すら疑われている日本にどうフレキシキュリティを上手く適用できるのか、ということがこの記事を読んだ人たちが考えるべきことである。とくに労働組合の自己賛美とは感じなかったけれど、それは元記事の筆者が組合員を名乗っているからであって、そこは当然割り引いて読めばいいだけの話だろう。

そもそも、「既存労働組合が既得権を捨てる」ことを一方的に求めるのはおかしい。ヨーロッパの労組が既得権を捨てたのは、安易な解雇を許さないこと、公的な社会保障に対する企業負担の増大を認めさせ、公的なセーフティネットを分厚く構築することとセットだったからであって、「既得権を捨てる」だけだったら労組が納得するわけがない。

日本の労使関係がよくなかったのは、企業が労働者の生活保障を丸抱えし、組合も企業別に組織化されていたため、「業績がよくなったからベースアップを」か、「経営が厳しいから労働者も我慢しろ」か、いずれかしかなかったことである。そして企業外部のセーフティネットの構築に対して、マスメディアを筆頭とする世論はほとんど積極的ではなかった。それどころか、企業の業績が向上すればセーフティネットも自動的に起動するんだ、という旧来の経験を動員する形でセーフティネット構築を先送りしてきた。労組がこれに乗っかったことは間違いないが、あくまで主導してきたのは自民党と財界である。

そして、企業外部のセーフティネットの大前提となる増税政策について、世論は依然として言語道断という雰囲気である以上、将来の見通しも暗いと言わざるを得ない。年金や子ども手当てのような「目玉政策」は部分的に分配が増えることはあるだろうが、その他のほとんど話題になっていない無数のセーフティネットは、むしろ「事業仕分け」を通じて削減され、全体的にはプラスマイナスゼロといったところだろう。だとすれば、労組はますます生き残るために、「既得権」に懸命にしがみつくしかなくなることが予想されるだろうし、そうなると非正規への賃金分配を要求することは絶望的に難しくなる。もし本当に労組の既得権が問題だと思うのなら、「増税に応じるので企業外部の雇用のセーフティネットを政府の手で分厚くしてほしい」、という主張をまず先行させるべきである。相手方の有している権利を「既得権」と名指しして、まずその解体を要求するような主張に納得するような人が、財界であれ官僚であれまず存在するわけがない。

経済社会の中に労働者代表組織が必要不可欠であるとすれば、今の日本で必要とされるのは労組の力を強化して、それを非正規を含めた包括的なものへと再編していくという道を、懸命に模索していくことだけだろう。「大手労組と財界が結託して、中小零細や非正規から搾取している」などという労組批判は、全くその通りだが、正直なところもう聞き飽きたという感じでもあり、またそんな批判からは何も生まれないと思う。