「事業仕分け」について

閣僚から「仕分け」批判…防衛相や総務相、農相
11月13日13時17分配信 読売新聞

 政府の行政刷新会議(議長・鳩山首相)が行っている「事業仕分け」作業に対し、13日の閣議後の記者会見で閣僚から批判が相次いだ。

 北沢防衛相は、在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)の一部が仕分け対象となったことに対し、「日米間でも、もう少し透明性を高めなければいけないという議論があり、話し合いを水面下でやっている。対アメリカとの関係も考慮して、防衛省に任せて(日米間の)進展を見てからにしてもらいたい」と述べ、日米関係への影響に懸念を示した。

 原口総務相も、同日の仕分け作業で地方交付税交付金が対象となることについて、「地方交付税は地方独自の財源だ。どこかで(必要性を)一方的に決めていいものではない」と反発した。赤松農相は、「(仕分けの中で)指摘する人たちが分かっていない点もある」と指摘した。

 これに対し、藤井財務相は「仕分けの結果は真摯(しんし)に受け止めて予算編成に反映させる」と述べ、判定に従って歳出削減に取り組む姿勢を強調した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091113-00000601-yom-pol

 現在進行中の「事業仕分け」について、意義については理解を示す人もいるが、私は全く無意味な政治イベントにしか見えない。なによりも民主党議員の官僚に対する大上段的な詰問調の物言いと、それに対する官僚の批判的な応答を全て「抵抗」と解釈して報道するメディアの姿勢には心底うんざりしている。官僚はというと、冷や汗だらだら流しながら答弁する人もいれば、少し図太い人になると、どうせ話が通じないのだからと、「それでいいんじゃないですか」と投げやりな態度の人物もいる。こういう雰囲気で決められた政策が、およそ健全なものであると言えないことは明らかだろう。

 そもそも、「事業仕分け」などというのは、出発点・発想からして全面的に間違っているのである。

 必要か不要かというのも、事業仕分けで逐一判断して決めるものではなくて、まずあるべき社会のグランドデザインを設定し、政治的な利害の衝突と交渉を通じて決めるもののはずだろう。ある事業の成果が乏しくてコストパフォーマンスが悪くても、社会全体にとって必要なら、むしろ事業計画を見直した上で税金をより多く投入するという方向性だって十分あるはずだが、事業仕分けではコストパフォーマンスが悪ければ一律に削減されてしまう。

 亀井大臣は事業仕分けの選定人に「市場原理主義者」が入っていると批判というよりも非難を行っているが、財政問題を歳出削減で解決し、削減の基準をコストパフォーマンスで決定するという発想自体がそもそも「市場原理主義」的なのであって、それを言うなら「事業仕分け」自体に批判の目を向けるべきだろう。「事業仕分け」で「無駄の削減」をする以上は、結局はコストパフォーマンスの計算が得意な、「市場原理主義」的な人物の協力をどこかで仰がなくてはならない。

 本来であれば、財源は増税と経済成長という王道で確保していく道を全力で追求すべきである。誤解を恐れずに言えば、細かい仕分けをしなければ見つけられないような「無駄」などは(金額的にも小さいだろうから)大目に見たほうがいいのである。「大きな政府」を志向している国民新党社民党が訴えるべきは、そういう健全な方向にもっていくことであって、「事業仕分け」の決定権を少しよこせというのは、政治的には仕方がないにしても、本来ならやるべきことではない。

 しかし、私がずっと理解できないでいるのは、民主党にこうした無意味な政治的イベントをさせるまでに至らせた、行政に対する根深い反感や不信感である。こんな馬鹿馬鹿しい政治イベントによって、官僚が「世論に叩かれない」ことばかりを気にするようになり、社会全体のための積極的な提案などは怖くてできなくなり、ますますやせ細った「既得権」に固執することしか考えないようになる、ということがどうしてわからないのだろうか。