首都圏と地方の格差

アエラ』を読んでいたら姜尚中が先の参院選自民党大敗を、地方が切り捨てられることに対する「草の根保守の反乱」と要約していた。

これは自民党中枢の人たちもそう思っているようなのだが、おそらく正しくないと思う。そうであれば地方の衰退などまるで無関心・無頓着だった小泉政権のときに、とくに郵政解散選挙の時にとっくに「反乱」してなければおかしいだろう。

だいたい政治学者である姜尚中がいちばんわかっているはずだが、「草の根保守」というのは自民党以外に投票することは基本的にない。「草の根保守」は選挙の公約やテレビやインターネットで政治を判断しているのではなく、「知り合いだから」「お世話になっているから」という理由で投票しているのである。地域の町内会長のような人たちを自民党系の市議会議員がお世話して、その市議会議員を国会議員がお世話する・・・というパターンで自民党は「草の根保守」を緩やかに動員してきた。だから、「草の根保守」はだいたい何があったとしても自民党に投票し続ける人たちであり、「反乱」の可能性の低い人たちである。むしろ今回の選挙は、前回の郵政解散選挙を含め、昔ながらの「草の根保守」が政治的にはほとんど無力化していることの証明以外の何者でもない。事実、一人区でも当選した山本一太世耕弘成はメディアの露出が高く、どちらかと言えば「草の根保守」とは無縁の人物であり、地方の人もマスメディア以外で政治を知ることがほとんどなくなったことの象徴である。

何度も言ってきたことだが、地方の人たちの多くは「顔の見える」地域で「自然に囲まれた」生活をしてきたわけではない。画一的な郊外住宅地に住み、テレビを毎日ぼんやりと見て、インターネットや携帯電話も生活必需品で、日ごろの買い物は自動車でコンビニや郊外型の大型ショッピングセンターに行く。はっきり言えば、都会と変わらないというか、それ以上に「近代化」「個人化」した生活を送っている人たちが大半である。別に当たり前のことなんだけれども、政治家や学者やマスメディアの手にかかると、こういう当たり前の風景がどこかに飛んでいってしまい、地方の人間にとってはもはや関心すらない「シャッター通り」ばかりに焦点を当て続ける。特に都会から新幹線でやってきた人たちは、そういう「地方の衰退」を象徴する風景ばかりが印象に残り、地元の人に身近なセブンイレブンジャスコは全く目に入らないのだろう。

東京と地方の格差是正の話は大いに結構なのだが、そうであれば「振興」「活性化」「自助努力」という言葉を消すことがまず必要である。しかし、いつまでも「草の根保守」のイメージで地方社会を考えると、こういう言葉がいつまでたっても消えず、「地方の多様性を生かした取り組み」など、既成の観光地以外ではほとんど実現不可能なことが喧伝される続けることになる。財政破綻した夕張市が、つい最近まで国が奨励する地域振興の成功例として持ち上げられていたことを忘れてはならない。

格差の解消は端的に税収の配分という制度的な問題で、それ以上でもそれ以下でもないというのが私の考えである。いままでの方法は、「豊かな東京が貧しい地方に援助する」というものだったので「不況」とともに削られるしかなかった。しかし、最近はようやく、東京で働いている人や東京に本社のある企業の多くも、地方出身だったり地方を拠点にしたりしている以上、税収もそれに応じて配分されないのは明らかに不公平であるという当然のことが語られるようになってきた。

今まで聞いてきた構想では、立ち消えになった感じの猪瀬直樹の「東京DC」構想が一番というか、断然よいように思う(できれば横浜や千葉を含めた「首都圏」に広げるべきだが)。セブンイレブンジャスコなど、地方で大きく展開している店舗のほとんどは首都圏に本社を置いており、そこでの売り上げによって儲けている本社の税収が地方に適切な比率で配分されないのは、結局は地方を「搾取」している以外の何者でもない。「ふるさと納税」も別に反対ではないが、内容的には大きな不満が残る。徴収方法がややこしいし、またネーミングが郷土愛を押し付けられているようで嫌だし、何より大きな点はセブンイレブンイオングループなど地方で儲けている法人企業を対象にしてない(できない)ことである。

東京の人材や収入の多くが地方で成り立っているという当たり前の事実で、普通に「東京(首都圏)DC」構想で十分だと思う。現状の実現可能性は高くないのかもしれないが、少なくともそのほうがテレビやインターネットなどを含めて、首都圏に本社のある店舗や企業で日々の生活が構成されている、現在の地方の実情にうまく即している。今の東京と地方の「格差」と呼ばれるものも、こうした実情に即した税体系を敷いてこなかったことに原因の一端があるのだと思う。それ以外の(地方交付税などの)方法は、どこまでいっても「バラマキ」という批判をどこまでも免れないような気がする。