草の根の民主主義

 まだ結果をみなければというところだが、民主党が圧勝のムードである。小泉自民党が圧勝したのはほんの4年前のことで、ここまで極端な振り子は違和感というよりも恐怖に近いものを感じる。

 なんでこんなことになっているのかと言えば、要するに民主党が大勝することはほぼ確実であり、政権交代の可能性も相当に高い。これはもうみんなわかっている。だから民主党に投票して実際に政権交代が起これば、「自分の一票で変わった」という感覚を得ることができるのだ。この感覚を得たいがために、前回は小泉自民党に投票し、今回は民主党を支持する、ということなのだと思う。

 逆に言えば、それ以外に民主主義の回路があまりになさすぎる、ということなのだろう。昔の日本であれば、地域社会から労働組合にいたるまでの中間的な団体が強固であり、そうした草の根の政治のなかで擬似的な民主主義を体験することができていた。「声を上げる」という経験は、選挙の期間だけではなくもっと日常的なレベルで存在していた。かつての日本の企業がムラ共同体のようなものであったとはよく言われることだが、それはパターナリスティックな空間である一方で、メンバーシップが安定し、個々の社員が企業の運営に平等に参加している一員であるという感覚を得ることもできていたわけである。

 昨今話題の「ブラック企業」とは、要するに「いくらでも代わりはいるから嫌ならやめろ」という態度を、経営者が露骨にとっている企業ということであり、民主主義という点で言えば、もっともそれと対極にある空間である。どうも、こういうところで働いている人たちに代表されるような社会的な無力感が、数年に1回の選挙における極端な結果を生み出しているような気がする。「ブラック企業」で働いている人は必ずしも社会の多数派ではないが、実感としては社会の雰囲気がだんだんと「ブラック企業」的なものになっていることは確かなような気がする。

 素朴な言い方になるが、民主主義というのはやはり草の根的に存在しなければならない。「脱官僚」「国民が主役の政治」を叫びながら、「民間企業なら上司の批判は許されない」などと平然と言い放つ人がいるが、やはりそれはおかしいのではないか。そういう矛盾を放置したままの民主主義は必然的にポピュリスティックにならざるを得ないと思う。