地方のエリート知事

「地方の価値観重視を」=治水行政に一石−蒲島熊本知事・川辺川ダム

べつのダムの話とはまったく関係ない。蒲島郁夫知事について検索してみたら、なんと月給は24万らしい。自分の「公約」として100万円減らしたとか。

蒲島知事は有名な政治学者だそうだが、素人目に見てもこれはおかしい。単に薄っぺらなパフォーマンスだから、というだけではない。なぜ政治家に高い月給を払っているのかと言えば、第一にそうしないと一部の富裕層だけしか政治家になれないこと、第二にコネや癒着といった私的なルートで金銭を稼ぐインセンティブを減らすためである。政治家はたださえ金がかかる。彼らに税金によって十全な給料を支給することは、民主主義社会の大原則であり、政治学者である蒲島知事が知らないわけがない(そうではないという理論を持っていたら別だけれども)。アメリカのような「寄付」が文化の政治社会もあるが、あれは露骨な形で一部の大企業・富裕層の政治的影響力を過剰に強めているだけであることは明らかであり、とても理想的とはいえない。

それに、県知事の仕事はいうまでもなく激務(のはず)である。その激務に対する給料の対価がないことは、蒲島知事が立派かどうかという以前に、明らかに正義に反している。そして、自分と同じレベルの給料を県の職員および県民にも、暗黙のうちに求めることになる。潜在的には明らかに富裕・エリート層である知事が、役所をやめたら何も収入のアテのない公務員にそれを要求するのは、どう考えても不公平である。

宮崎の東国原知事や大阪の橋本府知事もそうだが、「徹底した改革」を連呼して「痛み」を住民に要求する人に限って、政治家をやめても十二分に「食っていける」人である。彼らにとって、自らの経済的な基盤や人的なコネクションが地元の県には存在していないか、少なくとももはや重要なものではなくなっている。だからこそ「徹底した改革」を無邪気に連呼できる。東大教授であった蒲島知事にとっても、おそらくそうであろう。

土建屋」と言われてきた政治家にも問題はあったとしても、少なくとも彼らの目線は地元以外に生活基盤のない地方住民に存在していた。そういう、地方の草の根の利害関心を汲み取る政治家も、そして地域の「しがらみ」も弱くなってしまい、潜在的に大都会に生活の基盤をもつ「エリート知事」が、地方に跋扈しつつあるように思われる。