自己責任論

「自己責任論」再浮上 韓国政府、拉致被害者らに費用請求検討

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070831-00000904-san-int

かつて日本でも散々話題になったが、これは一体全体「自己責任」なのか。実は日本では、あまり議論が詰められることなく終わってしまったのではないかと思うが、また起こる可能性の十分にある問題である。

私の結論は「まったく自己責任ではない」、つまり国が被害者に医療費や輸送費などを請求することなど断じてあってはならないというものである。理由は単純で、日本の国籍をもつ人々の生命財産を無条件に保護するということは、日本という国家の基本的な義務であるからである。

たぶん「自己責任」論というのは、「現地の危険さに対する十分な備えもせずに渡航した」ことへの甘さに対する叱責なのであって、それ自体はその通りかもしれない。ただ、救出にかかった費用の負担を求めるというのは全くの論外であり、それは国家が「事情によっては国民の生命財産を無条件には救いません」と自ら宣言しているようなものだ。生命の危険という事態は、どのような事情であっても(いわば自殺でもない限り)自己責任の範囲外である。

例えば、自己責任論を延長すると地震で大災害が起こっても、「地震多発地帯であることを知りながら移住してきたあなたにも責任がある」という話になり、生活に対する補償がほとんどなされない可能性がある。そんな馬鹿なことあるかというかもしれないが、耐震強度偽装問題東京都知事の「買ったほうにも責任が」という物言いがあったように、その可能性は全くの皆無とは言えない。不可抗力の事故や病気で仕事ができなくなっても、生活保護を受給できる可能性が少ないことは最近指摘されているが、ここのところ「自己責任」の範囲は確実に広がっている。

渡航自粛勧告を無視して……」というが、これも腹が立つ話である。どこかのリゾート地で疫病が流行している、という皆が必ずしも知っている訳ではない情報なら「勧告」は意味がある。しかし、イラクアフガニスタンが「危険」であることなど、そこに行こうとする人にはあまりにわかりきっていることであり、それに対する「勧告」などほとんど無意味でしかないことは明らかである。これは要するに、何らかの事件が起こったときの、政府の責任をなるべく減らすために出しているとしか言い様がいないだろう。「勧告」というのは、それを敢えて「無視」する人を前提にして出すべきものである。

欧米では自己責任論は全くあがらないのに、日本や韓国ではあがるという理由はよくわからないのだが、親が子供に叱りつけるような役割を国家に期待しているからかもしれない。要するに日韓の「自己責任」というのは、いわゆる個人主義ではなく単なる道徳的な説教に過ぎないのだと思う。