郵政問題について

 郵政問題についての批判を見ていると、民主党政権に変わっても、やっぱり世論はまったく変わっていないという感を強くする。

 2005年の郵政解散選挙で自民党に投票したが今回は民主党に投票した、という人たちには、小泉・安倍政権の「新自由主義」的な政策の帰結を見て態度を変えたという人も一定数はいるかもしれないが、それ以上に福田政権以降の利益分配政治復活の動きに否定的な人たち、つまり潜在的には「改革」の徹底化を望んでいる人たちがやはり大多数であったように思われる。

 見ていると、その人が「既得権益」が持っているかどうかということが、あらゆる世論における政策の判断基準になっていて、そもそも郵政民営化が適切だったのか否かとか、民営化スキームを維持すべきかどうかという、基本的な問題が一向に語られない。私は郵便局は赤字であろうと住民の必要に応じて設置されなければならず、鉄道に対するバスのような代替インフラもないので、そもそも民営化は不適切である(公営のままでの効率化をはかるべき)という立場だが、そういう話が全く出てこない。そういう話ができるはずの竹中平蔵ですら、今回の人事を「渡り」だとかいう批判に矮小化している(彼自身が派遣業界の会長に「天下り」した矛盾は措いておくとしても)。

 意見は対極である西川前社長と今度の新社長が、同じように「利権」云々という物言いで批判されている。私は財界か官庁の大物には、それなりに「利権」と呼ばれる黒い部分はあるだろう、ということしか言えない。経済や政治に手垢のついていない人物に、地方自治体の首長ならともかく、郵政のような専門性の高い重要な仕事を任せられるわけがない。そしていろいろな報道を見る限りでは、西川前社長と今度の新社長の双方に、そこまで激怒しなければいけないほどの巨大な「利権」があるようにも思えない。

 小泉政権の時代にはじまったことではないかもしれないが、「既得権」それ自体への批判が政治化する傾向がますます強まっている。「政治家にビジョンがない」と嘆く人は多いが、ビジョンの形成を妨げているのが、こういう非生産的な「既得権」批判の世論であることは強調しておきたい。