フレクシキュリティについて

昨日の補足というか続き。

フレクシキュリティというのは、素人なりの雑感として、確かに理念としてはよいような気もするし、将来的な方向性はこれで間違いないのだろう。しかし、今の日本でフレクシキュリティをそのまま導入するというのは、やはり利点よりも弊害のほうが大きいような気がする。それは、労働者代表組織の力が、日本ではあまりに弱すぎるからである。

労働者代表組織の力の弱いところでフレクシキュリティを導入すれば、経営者の側に「どうせ政府が救ってくれるんだからどんどんクビをきればいい」というインセンティヴが高まり、結果として賃金の切り下げ競争に拍車がかかることは目に見えているのではないだろうか。日本で労働者の整理解雇があまり安易には行われず、退職金なども非常に手厚かったのは、従業員が生活をほぼ全面的に企業組織に依存してきたためであり、だから依存性が弱まれば経営者のほうには雇用を維持するためのインセンティヴはなくなってしまう。

だから濱口先生の説明に従えば、フレクシキュリティのためには、経済政策における労働者の発言権を高めていくことがまずもって第一であって、フレクシキュリティというスローガンが先行することには危険性が大きいと考える。「ブラック企業」のような劣悪な労働環境は、セーフティネットを手厚くすれば自然と消滅するかのような意見がところどころ散見されるが、私は必ずしもそうは思わない。

ところでモリタク氏のフレクシキュリティ論をめぐる批判で思うのは、ヨーロッパの雇用などについての知識は、大学の図書館で専門書を引っ張ってこなければ入手できない(また読んでも細かい制度の説明が多くてポイントがつかみにくい)ところがあり、だから中途半端な「専門家」が、素人相手にいい加減なことを言えてしまうことである。だから、私はこの手の「専門家」には必要以上に気をつけるようにしているが、モリタク氏もそしてモリタク氏を批判する人たちにしても、もっと緊張感をもった議論を望みたい。