「みんなの党」について

 すこし時機を逸してしまったが、「みんなの党」について。

 我々「みんなの党」は、今の「政党政治」は「ニセモノの政党政治」だと考えている。同じ政党内でありながら考え方が違い、議員同士が足を引っ張り合う中で、最後はその間隙を縫って官僚が出てきて、足して二で割る当たり障りのない、さして効果もない政策しか打ち出せない。こうした「寄り合い所帯」化した今の政党政治では、いつまでたっても、この国に「夜明け」は来ない、「官僚の世」を終わらせることはできないと考えるからだ。

 したがって、我々「みんなの党」は、政権交代後の更なるステップとして、今の政党政治を整理整頓して、政治理念や基本政策ぐらい一致させた「真っ当な政党政治」の実現、すなわち、「政界再編」を究極の目標とするものである。

 我々「みんなの党」は、このため、「脱官僚」「地域主権」という理念、政策の旗印を大きく掲げて、今後、この政界再編の荒波の中で、政党横断的に改革派を糾合する「触媒政党」の役割を果たしていけたらと思う。

 そして、真の「脱官僚政権」を樹立し、「官僚国家日本」を変える、国民の手に政治を奪還する。「増税の前にやるべきことがあるだろう」という国民の声に真摯に応え、日本の「病巣」たる官僚の天下り既得権益、政治家の利権を根こそぎにする。そうした「改革」を断行し、税金を国民の手に取り戻し、それを医療・介護、年金、子育て、雇用等の国民生活に充てていく。そうすることで、主権者である国民が主役の、「生活重視」の当たり前の政治を実現していく決意である。

http://www.your-party.jp/declaration/

 選挙はとっくに終わってしまったのだが、「政権交代」が争点になった選挙で、少数政党が軒並み大苦戦をするなか、唯一順調に得票数を伸ばしたのが「みんなの党」である。準備していた比例名簿が足りなくて、議席を一つ逃したくらいである。

 私は、結果がわかりきっている自民vs民主ではなく、むしろ共産・社民・国民新に対する「みんなの党」という少数政党の動向にひそかに関心があった。渡辺喜美は、自民党の中の「新自由主義」と「地方分配政治」という腑分けでいくと、小泉・安倍政権で主流派の新自由主義をもっとも先鋭的な部分を代表する「構造改革」の継承者であった。実際、小泉政権下の経済政策へ非常に高い支持を与えてきたエコノミストは、みんなの党の経済政策を高く評価していた。

 みんなの党の財源の捻出手段は、官僚組織の劇的な縮小と「成長戦略」であり、ほぼ小泉政権の政策と重なるものである。さすがに再分配政策も掲げてはいるが、明らかに公務員削減と成長戦略の優先度が高くなっている。結党宣言の中に、散々話題になってきた医療・社会保障や貧困の話がほとんど出てこないことが、それを象徴している。

 それに対して、共産・社民・国民新は小泉政権下の「構造改革」をほぼ全面的に否定する立場である。最近の貧困運動を積極的に支援してきたのもこれらの政党である。だから自民vs民主ではなく、みんなの党」vs「共産・社民・国民新」のほうが、私にとっては重要だった。

 私は選挙の前は、「医療崩壊」や貧困の問題による「構造改革」への逆風で、社会的弱者への分配を重視する共産・社民・国民新の支持がある程度は伸びるものと考えていた。ところが、小泉構造改革を真正面から否定する国民新党社民党は今回の選挙で勢力的にはむしろ後退してしまったし、共産党もそれほど伸びなかった。少数政党では、最も再分配に関心の薄いはずのみんなの党だけが、なぜか「政権交代」に埋没せず「一人勝ち」したのである。

 最初この理由がどうも不可解だったのだが、私は日本の世論が弱者への再分配強化に傾いていると勘違いしていた。実のところは、そうではなかったのである。つまり国民は、苦しんでいる目の前の弱者を救うべきだという素朴な訴えではなく、まず既得権に安住している人間を懲らしめるべきだという、「不幸の平等化」の声のほうを支持したのである。そもそも民主党マニフェストにしても、内容的には連立を組んでいる社民・国民新よりもみんなの党にずっと近いし、絶叫していたスローガンの大半も同じ「脱官僚」であった。

 みんなの党はまだまだ少数政党だが、戦前の無産政党のような存在感を示すことになるのかもしれないという点で、これからも注視すべき政党であると考える。もちろんイデオロギー的には全く逆だが、既得権へのルサンチマンに基づく「不幸の平等化」の世論を背景にしているという点では、若干似ているところがある。