不幸の平等化

民主党の目玉政策のひとつである児童手当ての世論をネット上で見てみたら、相変わらずというより、想像以上にひどい。

2009年9月22日 16時11分qyh*****さん削除/違反報告私もそう思う4,288点私はそう思わない155点生活保護母子加算子供手当
これがどれだけの額になると思ってるんですか。
働く気が無くなります。

働いたら負けの国にしないでください。
2009年9月22日 16時15分qyh*****さん削除/違反報告私もそう思う3,481点私はそう思わない27点
働いても働いても貧乏という人にこそ、
税金は使われるべきであり、
仕事したくないから生活保護という人を、
増やしてはいけません。

2009年9月22日 16時14分goo*****さん削除/違反報告私もそう思う2,338点私はそう思わない138点
マイナスになる家庭もある中ごり押しで進めようとする政策
まずは 見直しが先決じゃないの??
助かる家庭もあれば損をする家庭もあるどんな政策だよ!!
ダムもそうだし高速もそう 業者の意見など何も取り入れないで
なにが国民目線の政治だ笑わせるな

http://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20090922-00000064-jij-pol&s=points&o=desc

私は制度の細かい仕組みには無知だけど、家族に関する社会保障が先進国の中でありえない位低い、というのはネットで検索すれば瞬時に出てくるデータであり、育児や教育への公的支出の規模と少子化とが相関していることも、誰もが否定できないほど明々白々である。

「働いても働いても貧乏という人にこそ、税金は使われるべき」というのは、そもそも理念として完全に間違っている。再分配政策は、苦労している人を助ける、という慈善事業のようなものではない。しかし、これは再分配ということの意義がわかっているとかいないとかという以前の問題で、とにかく「自分が好きで子どもをつくった」どこかの誰かが、「こんなに苦労している」自分よりも「優遇」されるということ自体が許せないという感情なのである。

小泉政権の後半からそうだが、日本の世論が、みんなして被害者意識をぶつけ合って、足の引っ張り合いばかりをするようなものになっている。そして、横の人が不幸であればあるほど安心するような、そして不幸であるほど社会的に承認されるような、そんな社会になっている。

この問題についての色々な書き込みを読むと、不妊治療で悩んでいる人もいるとか、結婚もできない低所得者がいるとか、もっと不幸な人を持ち出してくるかと思えば、生活保護を不正受給している(きわめてレアな)ケースなどを挙げてきたりして、とにかく思いつく限りの屁理屈で再分配政策を一生懸命拒絶しようとする。これらはもはや議論の名に値するものではなく、単なる被害者意識に基づくルサンチマンに過ぎない。

ここから見るに、民主党が政権を獲ったといっても、自己責任原則から再分配政策への転換が評価されたわけではないことは明らかだろう。「一度変えてみるか」という以上のものは何もなく、「自民党をぶち壊す」と絶叫した小泉政権への人気と内実は何も変わらない。それに世論を観察していると、むしろ政治家や財界の人以上に自己責任主義が強いことがわかる。暴君の臣民は暴君よりさらに強暴だとはよく言ったものだが、大阪の橋下府知事のような、小泉政権劣化コピーとしか言いようのない「極小政府」路線の人物が、相も変わらず熱狂的な支持を得ているのも納得である。

今の日本の世論は「不幸の平等化」としかいいようのないものになっている。企業の劣悪な労働環境は批判されるようになってはいるが、その数倍規模の「それくらい社会人なんだから我慢すべきだ」という声が根強くある。そして職場では、三人集まれば人の悪口ばかりであり、みんなが後ろ指をさされないようにビクビクしているような有様である。こういう社会の風潮が、「既得権益の解体」とか「無駄の削減」といった、「不幸の平等化」を求めているだけの無内容のスローガンを政治の場面で跋扈させている。

こうした現実の中では、経済学者がいかに「経済成長」の必要性を訴え、福祉国家論者が「連帯」の重要性を訴えても、ほとんど嘘くさいものしか感じられない。なんか昭和10年代に社会の雰囲気が似ている、と言ったら言いすぎだろうか。