亀井氏の人事について

改革姿勢の後退と受け止められ、日本株売りにつながる


ただ、金融担当も含むキーポストだけに、景気や日本経済の行方に関心の強いマーケット関係者から戸惑いの声が上がっているようだ。


ロイター通信の2009年9月15日付記事によると、ある国内証券ディーラーからは、「郵政改革は日本の構造改革の象徴であったため、後戻りするような政策になれば、海外勢からは改革姿勢の後退と受け止められ、日本株売りにつながりかねない」との指摘が出ているという。


国際金融アナリストの枝川二郎さんは、警察官僚出身の亀井静香代表に、キーポストを任せることに疑問を呈する。


「亀井さんは、経済をあまり理解していない人ですね。素人には、その動きは難しくて、なかなか分からないのですよ」

ある金融機関の役員からは、15日夕、「亀井さんでは、まったく困る」とのメールが来た。亀井代表がこの日の会見で、中小企業に対して3年ほど借金の元本返済を猶予するモラトリアムを導入するとしたが、この役員は、「すぐに中小企業に金を貸せと言い出すのでしょう。本当にそういうことが日本経済のためになるのか判断しているのでしょうか」と嘆いていた。


枝川さんは、「まったく同感です」としたうえで、こう話す。


「(現金融担当相の)与謝野馨さんは、経済に理解があり、少なくとも愚かなことはやっていません。亀井さんが、郵政に対する理念を通そうと、目先の政治的なことばかり追い求めていると、世界の笑い者になるかもしれませんよ。民営化しない選択肢もありえますが、全体として経済をどう動かしていいか理解していない人がやると、本当に日本売りになるでしょうね」


http://www.j-cast.com/2009/09/15049678.html

 別に今回の人事に賛成なわけでは必ずしもないが、これらの「経済通」の論評は完全に間違っている。

 今度の総選挙の一つの論点は、この10年来の市場主義的な「構造改革」を批判的に総括する、というものであったはずである。社会全体の構造を無視して財界と財界に近いエコノミストだけで独断的に経済政策を遂行すること、そのことが数字上の経済的なパフォーマンスを若干上向きにすることがあっても、社会全体に深刻なゆがみをもたらすこと、この「経済学偏重主義」への反省が福田政権以降の自民党の流れであり、今回の総選挙の結果だったはずだ。亀井氏の人事も、こうした流れのなかでは自然なものであるとは言える。この経緯について、ここで無責任に語っている人たちは何の反省もないのだろうか? 
 亀井氏が適任かどうかはともかく、必ずしも経済通ではない人が経済政策を担当することは決して悪いことではない。法務大臣が法学者や弁護士出身者である必要が必ずしもないのと全く同じである。別に当たり前のことで、法律や経済が他の分野に波及する影響力を勘案できなければならない以上、あまりに専門家すぎる人はかえって不適格であり、それでは官僚と何も変わらない。あの竹中平蔵にしたって、私に言わせれば、あれこそ官僚主義的な人間像の極致であろう。「これが経済というものです」という、膨大な専門知識を背景にした紋切りで政治家を思考停止させるのは、まさに官僚の常套手段である(違ったのは「鈍感力」の桁外れの強さ)。

 この文章で明らかなのは、亀井氏とエコノミストとでは見ている社会が180度違うことである。亀井氏が郵便局を必要としている地方の社会的弱者について語るのに対して、エコノミストは「日本売り」という国際金融市場のことばかりを心配している。亀井氏にとってビジネスの世界で日本が笑いものになろうと別に大したことではないだろうし、エコノミストは地域の郵便局のことなど頭の片隅にすら入っていないに違いない。経済がわかっているかどうかという問題では全くなくて、どっちの世界を向いているのか、そしてどっちの世界を見たほうがわれわれの社会にとって幸福な結果をもたらすのか、そういう問題でしかない。