増税を語る

増税策を批判するときの常套句が、「税金の無駄遣いを根絶しなければ・・・」 というものである。一見正論にも聞こえるが、私言わせればとんでもない話である。

 いま医療・社会保障の問題を起こっていることは、単純に財源問題である。そして財源が足りないのは、税収が少ない、税金が安いからである(参考http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5105.html)。90年代以降、「国際競争力」の名の下に法人税の減税と所得税累進率の緩和などを行ってきたのに、消費税などの他の税金をさほど上げずに済ませてしまったために、財源が不足している。この小学生でもわかる問題が根本的な話であって、それ以外の「税金の無駄遣い」などの話は全くの枝葉である。増税政策を批判している人は、一見難しく考えているようにも見えるが、要するに枝葉の話だけしかしていない。

 「無駄遣いの削減」はもちろんやらなければならないが、無駄遣いは国家という大きな組織を経営していれば必ず発生するものであり、その削減は現在だけではなく10年後あるいは100年後も課題であり続ける。だから、そんな理屈で増税を拒否し続ければ、永久に財源問題は解決しないことになってしまう。もう忘れているのかもしれないが、つい最近まで医療費も無駄が多いと批判されていたのであるが、「医療崩壊」の報道とともにすっかり聞かれなくなってしまった。要するに、「無駄遣いを根絶せよ」という声も、今の病院の勤務医がそうなっているように、無駄の有無とは無関係に、公務員が悲鳴をあげて苦しむ姿が見られるようになれば途端になくなってしまい、ついこの間まで公務員をボロクソに叩いていたことなどすっかり忘れてしまうのだろうと思う。

 医療・社会保障の問題で、一見みんな真剣に困っているかのような顔をしているが、本当はさほど困っていないに違いない。本当に困窮しているのなら、屁理屈をこね回して増税政策を批判している暇などない全くないはずだからである。増税なしでも生活がそれなりに成り立っているという実感があるので、増税の必要性をあまり感じないのだろうと思う。しかし、その結果のしわ寄せは障害者自立支援施設など、公的な財政支援なしには一日でも生活が成り立たない最底辺の社会的弱者に向けられることになる。

 国民の反発を覚悟で増税を語る、ごく一部の(財界関係者以外の)良識派にも言いたいのは、いかにも重苦しい顔で「増税しなければ財源が・・・」みたいな話をするのではなく、まず必要な分野に対する分配の道筋を示した上で、増税によって個人レベルでの負担感・不安感が低下することを強調すること。「苦しいから税負担を」という理屈だと、「こっちだって苦しいのに」という、無意味なルサンチマンのぶつかり合いになることは避けられない。増税が国民の生活を楽にするということを、真正面から訴えたほうがよい。