セブンイレブン排除命令 公取委、値引き制限「不当」 

本部との契約を打ち切られると事実上経営が成り立たなくなる加盟店は、本部からの要請に従わざるを得ない実態がある、と公取委は判断。独禁法の「優越的な地位の乱用」にあたると認定した。

 販売期限の迫った弁当などの値引きは「見切り販売」と呼ばれるが、これをしていた加盟店側は「見切り販売をせずに本部の要請通りに弁当などを捨てると、大きな損失が出て経営が圧迫される」と主張。本部側は「安易な見切り販売は中長期的に加盟店の利益にならない。発注精度を高めることがなによりも重要だ」などとして対立していた。

 しかし、命令は、見切り販売しないで捨てることになる弁当などが、1店舗あたり年間約530万円(調査した約1100店の平均額)に達している現状も指摘。今後、加盟店側が値引き販売できるようにするための具体的な方法を示した資料(マニュアル)を作ることを求めるなど、加盟店側に立った認定をした。
http://www.asahi.com/business/update/0622/TKY200906220164.html

コンビニだけではないが、この問題には一般に「新自由主義」と呼ばれるものの縮図がある。つまり、コンビニの店長が「加盟店と本部は対等」という自立した経営者であるという建前と、「契約に同意したのはあなただから」という契約主義の論理の下に、売れ残った商品や人件費・光熱費などのコストをすべて「自己責任」で負担させるというものである。

つまりここでは、「自由な選択」というリベラルな原則が、現場の労働者にコストを丸投げし、不満や要求を一切言わせないための理屈として機能してしまっている。旧来のような暴力的な支配や搾取であれば反抗のしようがあるが、この問題では「自分で決めたことだから」というアリバイが無数にあり、また自分のプライドとしてもそう思いたいところもあるので、なかなか声を上げることが難しくなってしまうのである。

これは単に本部と加盟店との力関係というだけではなくて、世間に向かって自らの窮状を訴えるための言葉や論理を見つけるのが、非常に困難になっていることを意味している。たとえば、本部が自分の店から1キロ以内の場所に新しい店をつくると決定した場合、それに強い不満を抱かない店長は誰もいない。しかしそうした不満を口にしても、「誰にも参入の自由はある」「自らの創意工夫しだいで共存共栄できる」と言われてしまうと、返す言葉がなくなってしまうのである。そうして本部の心象を悪くするだけなら、結局は何も言わないほうがましだという判断が働いてしまう。

最近になって、少ない収入から廃棄ロスで利益を差し引かれると「とても生きていけない」という、まさに身も蓋もない理由によって、ようやく現場から声が上がりはじめるようになっている。しかし、生存が脅かされるまで追い詰められないと不満も要求も口にできないような社会が不健全であるのは、明らかであろうと思われる。

ちなみに、あまり関係ない話かもしれないが、「民間では従業員が社長に絶対服従なのは当たり前。いやなら辞めればいいだけ」という論理がしばしば無反省に流通しているのだが、誰も突っ込まなくていいのだろうか。マクロなレベルで自由主義の原則が貫徹してれば、個々の現場では自由が制限されても仕方がないという理屈は、さっぱり理解できない。