考えがまとまらないので箇条書き。


・前回のエントリは旧中間層がよくないと言っているのではなく、旧中間層の既得権を剥奪して問題を解決しようとする、一部の人の発想は絶対にうまくいかないということ。再配分の結果、旧中間層を含めて生活の安心感が全体に増すことを、理屈だけではなく現実的に示していかないといけない。その点で、再配分効果をきちんと測定しようとする安心社会実現会議の方向性は、大きく支持できるものである。


・比較的良識的な社会保障の専門家から「循環型社会」というスローガンをよく聞くが、経済成長最優先論者へのカウンターとしてはいいけど、資本主義社会で循環型社会というのは、やはりどこか無理がある感じがする。2%程度の経済成長を前提にして物を考えないと、やはりだめだろう。その上で、いま言うべきは再配分政策であって経済成長ではない、あるいは経済成長のためには再配分が不可欠だ、などと言えばいいだけである。


・基礎所得(ベーシックインカム)の考えとか、労働市場から相対的に必要とされていない人は、特に働かなくても単純に国による生活支援をすればいいという考え方が結構ある。社民主義的な人だけではなく、新自由主義的な人にもこの考え方を支持する人がいる。ベーシックインカムの具体的な中身にもよるけど、あまり賛成できない。というのは、普通の人間は「人の役に立っている」と思われたいのが人情だからであり、また税金で生活しているだけの人が世間から敬意の目をもって見られることはないだろうからである。やはり生活保護と失業給付、給料付きの職業訓練(OJT)の拡大で対処すべきであって、直接的で無条件の給付は少々無責任な考え方であるように思われる。働くというのは給料得るというだけではなくて、まさに「人に働きかける」という意味も(特に日本では)あるわけで、そういう現実にきちんと対応した方法が望ましい。


・前々から思っていることだけど、昔の社会主義者と今の新自由主義的な人たち(および経済専門家の多く)というのは、どこか似ている。支配そのものを可能な限り廃絶しようとしたりとか、そのくせ最終的には極めて中央集権主義的な手段に訴えるとか、政治における「汚い部分」の存在そのものを認めようとしないとか、そのために「敵」の存在を探し出しては過剰なほどに劇画化して批判したがるとか・・・・。


・「かんぽの宿」の問題をめぐる議論が、「旧郵政官僚の利権が」とか、「オリックス宮内会長の利権が」とか、そういう問題になっている感じがする。利権という言葉を振り回したがる知識人には、やっぱりというか経済系の人が多い(政治家もそうだが、これは仕方がない)。長年経済学を勉強している大の大人が、敵対する人を「利権」というレッテルで批判できてしまえるという幼稚な発想から、どうして抜け出すことができないのだろう。上の話ともつながるが、政治からすっかり利権をなくさければならないと考えるだけではなく、それが簡単にできるかのように吹聴する(それは人類の精神自体が変化するということである)似非理想主義は本当にうんざりする。