ここで何度もしつこいほど書いてきたけど、今の日本社会は増税しないと、つまり負担を税金という形で公共化していかないととてももたないことは、誰の目にも明白である。こないだの厚労省の不祥事の背景にも、財政のコストカット主義の圧力があったと言われている。それなのに、行政の無駄を減らせとか、官僚がちゃんと仕事をしていないとか、本質から外れた方向に問題を誘導する人が、いまだに後を絶たない(「頭のいい人」のなかにもいるから厄介である)。これは表面的には日本型官僚主義を批判しているように見えて、要するに今の問題を官僚の奉仕と激務によって乗り切れると信じたがっている点において、まさに「お上意識」の極致と言うほかないだろう。

ここで思うのは、増税=負担の公共化を頑強に拒否している人たちは、一体誰なんだろうかということである。日本社会の全階層と全世代がそうであろうが、私の見るところそれは少し偏りがあるように思われる。

普通に考えれば、増税策に否定的なのは、今でも「構造改革」の熱心な支持者である(とくに2000年代以降に成長した)富裕層であろう。しかし、財界と財界の周辺にいるエコノミストで消費税の熱心な推進者が少なくないことから考えても、必ずしもそうとは考えにくい。消費税しか選択肢がないことへの理由の十分な説明が欠けているところはあるが、一般に知的水準も高いので増税そのものの必要性は非常によく理解している。

では増税を頑強に拒否しているのは、一定の正社員を含む「派遣」「フリーター」などの不安定低賃金層だろうか。これも一般的に言ってその通りだろうが、彼らは現時点でもほとんどまともに食えておらず、むしろ税金が上がることによって行政の生活支援が拡大するなら賛成する可能性が大きい。とくに所得税増税の方法(特に累進課税方式)をとる場合には、低収入のために適用が除外される可能性が非常に高いし、消費税もヨーロッパのように日用品の適用を除外すれば、増税に反対する理由はあまりなくなる。貧困運動の中心にいる人たちも、貧困者の生活に配慮した増税策の必要性は認めている。

おそらく増税を頑強に拒否しているのは中間層、特に年金生活者を含む、日本型企業社会を享受してきた、50代以上の旧中間層である。この層は単純な人口比以上に、選挙の際の投票率が非常に高いという点で重要な位置を占めている。前にも書いてきたように、彼らは企業という中間組織が従業員の社会保障費を負担するという、日本型福祉のシステムのやり方に慣れており、また国の社会保障制度そのものも国民的な運動の成果ではなく、完全に官僚主導で構築されたものであった。だから、増税などしなくても企業の体力増強と官僚の奉仕・激務によって問題が解決する、という解決法を素朴に信じてしまうところがある。それに、生活そのものは相対的には安定しており、増税しないと生活できないところまで追い込まれていないことも、増税政策に全般的に否定的な理由である。

さらに悪いことにこの旧中間層の利害を代弁する学者(森永卓郎など)や、この層に圧倒的な影響力のあるテレビメディアが(一部を除いて)こうした声をそのまま流していることである。しかも、それが大企業の経営者が報酬をもらい過ぎだとか、官僚がちゃんと仕事をしていないからとか、本質は全く関係のない話題で増税反対を唱え、「そうだ!あいつらが悪いのに何で俺たちが!」というルサンチマンを煽っている。かといって、消費税とは別の累進課税などの方向に議論が建設的に進むわけでも全くない。

この点に関しては、最近は民主党よりも自民党のほうが明らかに支持できるように思われる。「安心社会実現会議」(この名前はどうかと思うが)では、日本では国民負担率が国際的に見ても低いことを指摘した上で、負担の社会保障に対する効果をデータとして明確にすべきことを主張している。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ansin_jitugen/kaisai/dai05/05siryou1-1.pdf

それにしても、この会議を批評しているエコノミストたちのコメントが扇情的であまりにひどすぎる。意見が対立している相手を簡単に悪人扱いできるあの神経はどこから来るんだろうか。一年前までは、「経済の専門家」といわれる人たちがここまでひどいとは思っていなかった。