相手の批判に反論する際に、議論の仕方そのものを批判するということがよくある。要するに、「こちらの言っていることを理解しないで批判するな」とか、「知識が足りないやつは出直してこい」といったものである。特にネット上の議論はこうした批判の論法がことのほか目立つ。

私はこういう批判をする人がよくわからない。自分の主張が相手に伝わらなかったのは、全面的に自分の責任だと考えるからである。『ダメな議論』というタイトルの本があるが(中身はちゃんと読んでないのであれですが)、ビジネスマンが相手を説得する際の実践書としてはまあ良いにしても、人の議論を簡単に「ダメ」と言える神経がやはりよくわからない。そういう批判の仕方が許されるとしても、それはアカデミズムにおける学会発表や論文審査といった、ごく限られた場面においてでしかないだろう。

たとえば「在日特権」を攻撃するようなヘイトスピーカーの議論に対しても、私は憤りはするが、議論の仕方がダメだなどと思ったことは一切ない。むしろあえて言えば、世の中にダメな議論など基本的には存在しないと思っている。街頭であれネット上であれ、人が懸命に世の中に向かって語ることは、その内容がいかに馬鹿馬鹿しいものだろうとやはり尊重すべきものである。

批判相手の議論自体をダメ扱いすることは、コミュニケーションを遮断して内に閉じこもり、自らの知的優越性を誇るという以上の意味はない。そうした態度は批判者の疎外感を強めて、ますます逆方向へと追い込んでいくだけだろう。