更迭された鳩山前総務相は、さすがに露骨なパフォーマンスが行き過ぎたし、主張の中身もいまひとつ説得力を欠いていたように思うが、世論の支持は比較的高い。

この問題が明らかにしたのは、日本の政治における「反構造改革」の流れがますます強まっていることである。2000年代を通じて、安倍政権時代を含めて7年ぐらい「構造改革」を掲げる政権が続いた。構造改革でよくなった部分が全くなかったわけではないにせよ、ほとんどの国民には日本社会が下り坂に向かっているという実感がある。一人当たりのGDPが国際比較で順位を大幅に下げたというだけではなくて、「医療崩壊」や「格差」「貧困」など、90年代以前には日本には無関係の発展途上国の問題と思われていた問題が次々と噴出するようなった。

前回も書いたが、2006年ぐらいに「戦後最長の景気回復」を達成したことが、おそらくターニングポイントだった。この景気回復のあまりの実感のなさに、そして「構造改革」の達成したことの現実に、ほとんどの人が失望しはじめたのである。構造改革の象徴である「郵政民営化」も、それでいったい何がよくなったのか、未だにそれを支持した国民すらさっぱり理解できないままである。むしろ、2005年の解散総選挙の馬鹿みたいな熱狂による自民党の圧勝が、かえって郵政民営化を「思い出したくもない恥ずかしい過去」としている。

さらに人々の神経を逆なでしたのが、依然として構造改革を擁護する人たちの、「まだ改革が足りない」「利権にしがみついている人たちのせい」という批判である。「自分たちの生活はちっとも楽になっていないのに、あなたたちはどんな血を流したというのか!」。構造改革論者の多くが世襲議員や一流大学教授という「超既得権益層」ということもあって、そういうルサンチマンが次第に募るようになっていった。そして、構造改革論者は貧困や格差が問題になり始めたときの2005年頃には、「大した問題ではない」と懸命に言い張り続けていた。その後に進んだ現実が「大した問題ではない」ことが決してなかったことは言うまでもないが、こうして構造改革論者は世論の支持を急速に失っていく。

以上のように、鳩山のパフォーマンス的な行動の背景には、郵政民営化反対の世論が強まったことがある。その世論は、端的に言えば2000年代を通じて「構造改革」で「生活がよくなった」という実感が何一つ得られていないという、ごく単純な理由に基づくものであって、決してそれ以上のもの(たとえば「郵政民営化がどれくらい反対派の議員達にとって死活問題だったのか」「ものすごい利権があるんだろうな」などという子供じみた陰謀論によるもの)ではない。「民営化反対について説得力のあるロジック」を説明しろなどと批判している人がいるが、ほとんどの人々はロジックではなく実感や経験を圧倒的に信頼する。「郵政民営化」の掛け声が盛んであった時代に生活水準が改善したという記憶のない国民が、郵政民営化をロジックで支持するようになることは決して有り得ないと考えるべきだろう。