「そんな人どこにいるんですか」という反論

自分の(あるいは仲間の)意見が批判された際に、「そんな人どこにいるんですか」という反論をする人が時々いる。

こうした人は専門分野や政治的立場を問わず存在するが、とくにフェミニスト研究者や経済学者に多いという印象がある。たとえば、「性差を否定しているフェミニストなんてどこにいるんですか」とか、「市場原理主義者がいたらここに連れてきてください」などというものである。かつての社会主義者にも、こういうタイプの人が少なくなかったように記憶している。

もちろん、彼らの主張を丁寧に聞けば、性差を否定しているのでも市場原理主義でもないのは理解できるし、そういう安易なレッテルで批判に興じている人に問題があることは言うまでもない。

しかし、それでも釈然としないところが残る。というのは、一人の素人としてテレビなどで彼らの発言を漫然と聞いていた限りでは、明らかにあらゆる性差を否定しているように聞こえたし、市場原理主義的に聞こえたからである。そのような誤解を招くような表現を散々しておきながら、誤解した側を無知で偏見扱いするのは、「そりゃないだろう」という気持ちになってしまうのである。

思うに、「そんな人どこにいるんですか」という反論が無邪気にできてしまう人は、自分が世の中に向けて発した言葉が現実の社会の中でどう解釈されていくのかという問題について関心の薄い人か、あるいは現実社会の「頭の悪い人たち」を徹底的に見下している傲慢な人か、どちらかだろう。そうではないと言うのであれば、再び誤解を招かないように表現を選んで丁寧に説明することに努力するか、そういう誤解やレッテルを自らの責任として厭わず引き受けるか(保守派にこのタイプが多いことは評価してもよいと思う)、いずれかの態度になるはずである。

結局のところ、「そんな人どこにいるんですか」という反論は、自分の発言に一切の責任を持ちたくないという、知識人の無責任さと傲慢さを示す以上のものではないように思う。