このあいだびっくりしたのは、1965年から75年の10年間、高度経済成長期ですけど、名目賃金が500%上がっているんですよ。5倍ですよね。5万円だった人が25万円になった。そういう時代ですから、この会社についていけば大変かもしれないけど食っていける、という幻想ができたと思うんです。

もちろん、実際にはそこからはじかれた人は結構います。母子世帯の人たちとか、日雇いの人たちは昔から企業に食わしてもらっていない。ただ、企業の「溜め」で生活をしてきた、メインストリームの人たちが社会的にも発言力を持っていた。まさにこれが中流の核を作っていたんです。

頭では、ワーキングプアが増えていることはわかるんだけど、体には、65年から75年の10年間の、毎年賃金をもらうたびに上がっていく感覚がある。やっぱり20代のときにどういう精神形成をしたかは大きいと思う。体で理解できていない。
http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20090607/p1

元の湯浅・堤対談は上の世代を批判する意図に基づくものでは必ずしもないにもかかわらず、この記事は世代批判の文脈で引用している。社会問題をある世代の問題に還元している点において、さんざん批判されているhttp://diamond.jp/series/wagamama/10001/の若者バッシング記事と何も変わらない。

そもそも湯浅・堤対談で言っていることは、団塊世代が時代の見えない馬鹿だということではなく、彼らが将来を楽観的に考えがちなのはそれ相応の理由がある、というものだったはずである。むしろ、若い世代が団塊世代に抱くルサンチマン(そしてそれを利用して社会的流動性を激化させようとする赤木智弘城繁幸のような議論)に自省を促すような内容として解釈すべきだろう。ところが、これを引用した記事は世代間対立の文脈で参照してしまい、元記事よりもブックマークがつくという結果になってしまった。

30代の自殺が増えていることが喧伝されているが、そもそも依然として自殺の主要な世代は50代以上であることを忘れてはならない(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2740.html)。団塊世代のなかでも、日本型雇用システムの恩恵を受けなかった人々は、湯浅氏も語っているように決して無視できるような少数者ではなかったし、だからこそ高齢者の貧困もしばしば問題になっている。ある世代全体をとらえて「恵まれている」「かわいそう」などと考える思考様式そのものを、そろそろやめるべき段階に来ていると言うべきだろう。もっともこんなことは、良識のある人によって既に散々言われてきたことなんだけれども。

ただし、最近のテレビメディアや政治家の選挙演説が、完全に50代以上の目線で政治を語っているようになっていることは、確かに大きな問題だとは考えている。前にも書いたが、団塊世代は官僚主導と企業福祉の組み合わせという「日本型福祉」の成功体験が強く、「お上」依存体質と背中あわせの公務員バッシングと、大企業優遇による福祉財源の充実という「小さな政府」路線を支持しやすい体質を持っている。しかし繰り返すまでもないが、これはあくまでメディアや政治家の問題であって、世代の問題では決してない。