社会的な再配分には市場によるものと税金によるものとがあり、再配分と言う点で根本的な違いはない。その中間形態もあるのかもしれないが、とりあえず二つにわけておく。

市場による再配分は、一言で言うと「魅力のある者・物」に対して優先的に再配分する原則である。そこで、人々が自らの魅力を高めるために競争し、社会全体の活気が上がることによって経済成長を期待するものである。

税金による再配分は、一言で言うと国民全体への無差別的な再配分である。市場にとって魅力の乏しい人・物を見捨てるわけにはいかないし、あまり儲けは出ないが絶対に必要な業務(特に防衛や医療)を放棄するわけにはいないので、これらを税金の徴収による再配でカバーするものである。

これはどちらがいいという話では全くなく、あくまで市場/税金の線引きの適切さの問題であり、また相互依存の関係にある。そして勘違いしている人が多いが、両者は私的/公的の区別なのではなく、再配分と言う意味では両者とも「公共的」である。私的というのは、あくまで個人や家族のレベルでいう話であって、市場そのものはきわめて公的なものである。

われわれが「負担」と言う場合はもっぱら税金のことを指しているわけだが、その意味では市場にも同じように負担があると考える必要がある。政府の財政が膨張すれば税金を上げなければいけないように、市場競争が激化すれば労働時間が増えていかざるを得ないし、しばしば賃金の低下を引き起こしている。だから行政に対して「無駄な業務が多い」と言えるのであれば、民間企業主に対しても「必要以上の競争」があると批判できなければならない。両者の違いは、批判のターゲットを明確に定めやすいかどうかという違いに過ぎない。

例えばよく天下りの問題などに関して、民間企業が公然とやっている場合は「税金じゃないから」という理屈で簡単に正当化されているようにな気がする。しかし市場も税金も等しく公共的なものであるとすれば、同程度の批判があってもしかるべきではないだろうか。昔からなんとなくそう思っているのだが、うまい表現が見当たらなかった。単なる自分の無知でそう思うだけかもしれないので、もう少し勉強してみます。