先日荻上チキさんと話していて投げかけられた質問は,

「経済学者って何であんなに偉そうなんですか?」

というもの.あぁぁぁぁもう自分も含めて思い当たる節が多すぎる.その時は茶飲み話だったんでたいした話はしませんでしたが,実際どうなんだろ.

http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20090407#p1

私が経済学者というかメディアに重宝されているエコノミストたちへの根本的な違和感は、「・・・・で、現実の人間がその通りに動けなかったらどうするんですか?」という点にある。

そのことを、学問の性質上考えられないと限界を素直に認めるならいいのだが、なぜかそうしない。むしろ、動かない現実に直面すると「官僚や族議員が既得権を守って動かない」といった、叱責や説教に奔ることが多い。現実の人間社会がまずあって、それを経済学の理論によって分析するのではなく、逆に経済学の論理に人間を従わせようとする。そして、従っていない人たちに対しては、「既得権者」と道徳的なレッテルを貼って断罪し、反論があると「経済というものを知らない」と言って黙らせる。誰もが「既得権者」と思われたくないし、下手に反論して無知を晒すのも恥ずかしいので、ほとんど人がそれに同調してしまう。

経済学者がみんなそうではないと思うが、少なくともメディアに出てくるエコノミストたちのイメージは全くこのようなものである。人文系の中で経済学は現実の政治と最も深く関わっているにも関わらず、現実社会との緊張感を最も欠いている感じがするのは私だけだろうか。

付け加えると、「偉そう」にしていること自体は全くかまわないと思う。問題はそうした態度が、おそらく無責任に発していると思われる節があることにある。あるエコノミストが「規制緩和は○○兆円の利潤を生む」と言ったとして、現実には全くそうはならなかったというか、それに付随する過当競争と低賃金化の問題が起こっても、「まだ無駄な規制が多いから」「正社員が既得権を手放さないから」という形で、簡単に責任を外部に丸投げできてしまうのである。しかも、それに論理的に反論することは、なかなか難しい。もし反論できるとしたら、それは経済学理論によってではなく、実際に「競争による活力」を掲げている労働現場の下でいかなる悲惨な事態が起こっているのか、そうした生々しい現実を地道に突きつけていくことによってでしかないと思う。