行間を読む

プロ野球の「通説」は錯覚? 名大教授ら846試合分析

「チャンスを逃すとピンチあり」「大量得点をした次の試合は打てない」。野球の世界でよく聞く話だ。こうした「通説」は本当なのか。名古屋大の加藤英明教授(金融経済学)らがプロ野球の試合を分析したところ、実際とはずれがあることが分かった。
(中略)
 加藤教授は「人は印象が強いと、本当は頻繁に起きていないことでも確率が高いと思い込みがちだ。通説にも錯覚がかなりあるのではないか」と話している。

特に学者の中には、一般の人々の「思い込み」に対して、統計データーを示して「錯覚」を指摘しようとする人が多いが、私はこうした態度は根本的に間違っているのではないかと思う。特に「犯罪は発生率は下がっている」「外国人の犯罪率も高くない」などとデータで示して、「外国人の増加による治安悪化は神話に過ぎない」と主張する人がそうだが、なんで統計が正しくて体感や実感が「錯覚」だと言えるのだろうか。

もしも、外国人の犯罪率が日本人の100倍という結果が出たら、そのときは「外国人が悪い」ということになるのだろうか。そうではないだろう。統計結果に関係なく外国人差別は絶対に間違いであるという、当たり前のことを言えばいいだけである。ちなみに私は体感として「治安悪化」を感じたことはないが、それは身の回りに犯罪が少ないという「実感」に基づくものであって、統計上の知識からそう思っているわけではまったくない。

「勝ち組男性」ほど「愛国心」が強いという調査結果を示して、「負け組男性が右傾化している」という図式に疑問符を示していた人がいたが、それを聞いてさすがにのけぞってしまった。普通に考えれば、「自分の国が好きだ」と(恵まれた地位にあるからこそ)素直に答える人と、ネット上で中国や韓国の悪口を書き連ねるようなひねくれた人物は、まったくの別物だろう。

安倍政権時代に膨大なデータで「景気がよくなった」と喧伝していた政治家や経済評論家を思い浮かべれば十分だが、統計はあくまで現実の一側面を切り取ったものにすぎない。統計から零れ落ちた「行間」は膨大にある。だから統計を扱う専門家がやるべきことは、こうした統計と実感との間の「行間を読む」ことであって、統計の結果で実感を「錯覚」と切り捨ててしまうことではない。そうした態度は、統計情報に容易にアクセスできる専門家自身の立場を特権化し、一般の人の「無知」を見下すという権威主義から一歩も出るものではない。