秋葉原事件の社会背景まとめ

断っておくと、私は今回の事件を「起こるべくして起こった」としたり顔で言う人にはあまり賛成しない。eventが「事件」と「偶然」の両方に訳されるように、「必然的な事件」など語義矛盾である。われわれができるのは、起こった事件を手掛かりにしてその社会背景をさぐることだけで、その社会背景が今回の事件と直接的な因果関係にあるかどうかはまた別の話である。

そのことを踏まえたうえで、その背景を簡単にまとめると・・・。

(1)正規雇用と非正規雇用の間の差別 
 「同一価値労働同一賃金」や、非正規の「正社員化」がこの問題の「解答」になっていることが多いのだが、それは違う。職場が流動的で不安定な雇用自体は、必ずしも悪くないことではないと考える。あくまで悪いのは、社会保障などの制度が未整備あるいは著しく不充分であったり、非正規であることが「非(半)社会人」と同一視され、さらに職場に不満があっても何の発言権も持たず、突然の一方的な解雇にも何の抵抗もできない状態にあることにある。さらにもっと悪いことは、正規雇用層がそうした非正規層を横目で見て、「俺はああじゃなくてよかった」とどこかで安堵し、攻撃を加えないにしてもどこか遠ざけるような態度をとっていることにある。加藤容疑者のルサンチマンも賃金の低さや不安定性ではなく、こうした正規雇用層からの日常的な「差別」の視線であった。そう言うと、それは彼の自意識過剰と被害者意識に基づく妄想に過ぎない、と言われるかもしれない。しかし、確かに彼は人格的には褒められたように人間ではなかったにしても、繰り返すように、昔から差別の告発が自意識過剰なものとして非難されてきた歴史を忘れるべきではない。

(2)教育制度の機能不全
 加藤容疑者の劣等感をさらに増幅させたのが、彼が10代の半ばまで学校社会の優等生であったということである。昔であれば、県内トップの伝統進学校を出ていれば、その中では相対的に劣等性だったとしても、必ず地元のどこかに受け皿があった。しかし、成人の3、4人に一人は非正規雇用という現代社会では、当然ながら県内トップの伝統校出身からも相当数の非正規雇用者が出るのはもはや当たり前である。特に地方では、歴史のある百貨店がつぶれて東京資本のSCにとってかわられているように、地場産業は地元の若者を正社員として雇用できるだけの体力をもはやもたなくなっている。現在伝わる情報の限りでは、加藤容疑者の両親はかなり厳しかったようであるが、これは学歴社会への素朴な信頼がかなり強かったことを意味している。しかし今は、そのような育てられた方をした子供が、結局は非正規雇用として働いているという例が、万単位でいておかしくない時代である。加藤容疑者は両親に強い不満を持っていたようだが、「青森高を出ていれば当然・・・」という素朴な学歴信仰はどこかで共有していたのではないだろうか。そうでなければ、あそこまで過去の自分との落差で劣等感を溜め込むこともなかったはずである。

まとめるとこの事件の背景には、正規/非正規の構造的な差別、教育制度が入学前の期待を卒業後の結果として保証できなくなっていこと(専門学校を含めて全て「正規雇用」を前提とした教育しか施さないことを少し思い浮かべればよい)が、ぼんやりと浮かんでくる。「秋葉原」「オタク」に関して熱く語る人がたくさんいるが、これに関しては正直よくわからない。ただ、近年は秋葉原で遊ぶ人はオタク以外の「普通」の人々の割合が増えている、という変化に関する指摘がちょっと興味深い気がするが・・・。

追記

ちなみに、宮台真司さんも(2)の問題でほぼ同趣旨のことをもっと明快な文章で言っていたので、ここで紹介。

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=651 

他方『県内トップの進学校に入って、あとはずっとピリ 高校出てから8年、負けっぱなしの人生』『親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ』などの書き込みには、別の背景も見出せる。社会的序列について「勘違い」を与える成育環境だ。

 今は新卒一括採用ゲームでの勝利が人材価値を保証しない。叩き上げで獲得した専門性が人材価値をもたらす時代だ。なのに教育界や親がいまだに『いい学校・いい会社・いい人生』である。教育界はこの「勘違い」で飯を食う利害当事者だし、親はかつての常識から抜けられない。

 厳しい家庭で優等生として孤独に過ごした加藤容疑者は、進学上の「敗北」を過大に受けとって「挫折」した。成績よりも友達がいないことを心配しない大人たちのダメさに問題を感じる。ネットの影響だのPCゲームの影響だのという議論は笑止だ。

最後の2文には若干違和感があるが、これに付け加えることなし。現在「フリーター」に否定的なイメージをもつ若い世代および若い親の間では、(強迫観念と言えるほど)正社員志向が強まっているらしいが、だとすると必然的にこうしたルサンチマンがますます社会的に拡大していくと言えるだろう。加藤容疑者がよく話題になる「ロストジェネレーション」ではなく、日本の経済的な停滞・衰退を所与として受け止めてきたはずの後発世代に属していることは、いろいろな意味で示唆的である。