消費税増税論

消費税の増税論議が盛んだが、私は消費税の増税に基本的に賛成の立場である。本当は、法人税を上げたほうがよいのだが、現在の先進国を見渡しても法人税増税で対応している国は皆無である。そう考えると、やはり消費税しか今のところ現実的な方法は見当たらない。

年金制度の問題は言うまでもなく、全国地方で医者の不足・激務の問題、需要が多いはずの大学の介護士養成課程が軒並み定員割れなどの問題が毎日のように報道されている。これは、必要な歳出に対する歳入がないという、小学生もわかる、きわめて単純な財政的問題である。誰もがわかりすぎるほどわかっているにもかかわらず、それでも「増税などとんでもない」という人や、そうした感情を利用する政党や政治家が後を絶たない。

どうも日本国民は30年以上も前から「福祉国家」になったという自覚そのものが欠落している感じがする。福祉国家というのは単に国家が国民に手厚い医療や生活保護を保障するというのではなく、家族や地域の無償の相互扶助の能力に限界が生じたために、税金を対価として国家に福祉サービスを委ねることを意味している。保険医療制度や年金制度が完備されるようになればなるほど、税金も上昇するのは当然なのである。

消費税増税に反対する人の論理は、成長路線と「無駄を減らす」という二点に集約できるが、いずれも全く誤った考え方である。

この5年ほど日本は「経済成長」を続けているらしいが、医療・福祉の財源問題は誰の目から見ても、それ以前より悪化している。財政悪化が経済不況の問題ではなく、医療・福祉制度の拡大と少子高齢化に伴う問題である以上、これは別に当たり前のことである。「経済成長がなければもっとひどかった」という主張を認めるとしても、少なくとも今の医療・福祉の財源問題を「成長」だけでは全くカバーできず、焼け石に水のような効果しかないことはすでに明白になっている。

「無駄を減らせ」という意見がかなり根強いが、私はこれは「成長」路線を唱える人よりもさらにひどいと考えている。今の問題は歳出を長期的かつ恒常的に確保する手段を考えることなのに、「無駄を減らせ」と叫ぶ人はその問題自体を考えることを停止している。それだけではなく、「市場原理も好きじゃないが増税も引き受けたくない」という感情で、「政治家や官僚が税金を無駄遣いしている」という問題にすり替え、税制の体系や方式そのものを見直すための議論を先送りし続けてる。「無駄を減らせ」という議論は、百害あって一利なしであると断言しておきたい。

当たり前すぎることだが、天下りや道路工事が「無駄」だとしても、それらを削ったからといって今後も歳出が増え続けるわけではない。それにこの10年ほど経験していることだが、「無駄を減らす」ことが政策方針になると、財源が足りないはずの医療・福祉にも必ず削減の圧力がかかるようになる。結果的に土建業界や教育界のような「声の大きい」ところだけが相対的に削減を免れ(当事者は無論そう思っていはないだろうが)、介護のような歴史も浅く「声の小さい」分野に圧力がかかりやすくなるという結果になりがちである。

今の日本の政治情勢でやはり問題だと思うのは、一部の頑迷な「上げ潮路線」派を除くと、政権与党や財界などが「消費税増税」に賛成であり、「福祉」「生活」を掲げている野党がそれに反対するという構図になっていることである。野党は、生活必需品の消費税を免除するような「累進課税的な消費税」という(ヨーロッパでも導入されている)現実的な考え方にシフトすべきであり、今のような型どおりの消費税反対論を繰り返していれば、結果的に完全に「逆進的な消費税」が実現してしまうだけだろう。