「無垢な中国人」は存在するのか

来日したダライラマ14世が記者会見で「無垢な中国人が私を悪魔だと信じているのが悲しい」と語っていたが、ダライラマの精一杯の慎重に慎重を期した善意の発言であったとしても、これはやはり間違いだと思う。

言うまでもなく、世界中には中国人の留学生、ビジネスマン、単純労働者が膨大に存在している。彼らは当然ながら、中国共産党が何をしてきたのかをメディアを通じて知っているはずだし、滞在先の国民からそうした議論をすることだってたまにはあるだろう。それなのに、「表現の自由」が確立しているはずのヨーロッパやアメリカで「欧米のメディアは偏っている」という、まるで中国政府のスポークスマンの実行部隊であるかのようなデモが起きたのである。3年前の、日本人を一気に「中国嫌い」にさせたあの「反日デモ」の時でも、ヨーロッパでデモが起こっていたことは記憶に新しいが、当時は誰もこの不可解さを説明していなかった。

これは断言してよいと思うが、彼らは外国でいかに中国のネガティヴな情報を耳にしたからといって、チベットや台湾は独立すべきだという議論に同調することはほとんどないし、中国共産党に批判的な態度をとることも基本的にない。だから、「情報が遮断されている」という批判などはまったく無意味である。「情報を与えれば考えも変わる」と素朴に考える人が(特に学者やジャーナリスト連中に)多いが、これは根本的に誤っている。情報を評価したり取捨選択する枠組み自体が変化しなければ、考え方が変わることも基本的にないと理解すべきである。大きな政治的事件が起こらない限り、そうした枠組みは容易に変わらないし、逆にいえば革命や戦乱などが起これば一夜にして変わってしまうことがある。それは戦時戦後の、われわれ日本の歴史を振り返ればすぐに理解できることである。

むしろ、外国にいる中国人のほうが日常的に他民族との緊張関係の中にあるから、ナショナリスティックな見方に固執しやすいところもある。これは外国人の知人や友人や多く、移住先の社会に溶け込んでいることとは全くの別の問題である。日本に長年住んで多くの友人をもちながら、靖国問題歴史認識問題では「右翼」とでも形容すべき強硬な発言を平気でする。正直なところ、私も中国人がどこまで本気でそう言ってるのか判断がつかず戸惑うところが多い。今回の事件が起こっても、「チベットは中国の一地方」と、むしろそれまで以上に語気を強めて断言する在外中国人が少なくないのである。このことは、ナショナリズムが知識や情報だけでは決して制御できないことを明確に示している。

中国人一般が何を考えているのかは私にも不可解なところが多いが、はっきり言えるのは「無垢な中国人」というのは政治指導者やジャーナリスト、学者といった人々が創り出したがる虚像であるということである。ダライラマが政治的メッセージとして発する分には意味があるとしても、新聞記者や学者までが「情報統制」をチベット問題の根源であるかのように扱っているのは明らかに間違いである。