橋下府知事

[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080213-00000115-sph-ent:title=「遅刻発言」バトル、橋下知事がNHKに“圧勝”!]

8日生放送された「かんさい特集」に、橋下知事が番組開始29分後の午後7時59分に大阪のスタジオ入り。東京で石原知事らとの会合など、公務のため途中参加になると事前に伝えていたが、司会者から「30分の遅刻ですね」と紹介されて導火線に火。その後も府政改革の詳細な説明を重ねて求められ「何度も言ってるんですけど」と、プッツン。「NHK、インサイダー問題どーなってるんですか!」と激怒した。翌9日には「公務を切り上げてでも出ろ」と言われ、局入り時に「お疲れさま」のあいさつもなかったと暴露。また、当日は収録済みの民放裏番組にも出演していたが、「関係ない。公務外だ」と言われたことも明かし、「一切、スタジオには行かない」と絶縁状をたたきつけた。

橋下知事を支持している人に言いたいのは、これは要するに、いわゆる「クレーマー」とか「モンスターペアレント」というものと、いったい何が違うのだろうか。私が橋下の発言を許せないと考えるのは、彼が大人気ないからでは決してなく、「NHKを叩けば国民に受ける」というワイドショーのコメンテーター時代から得たポピュリスト的確信から言っていること(彼がテレビに出演していた時代はNHKの不祥事へのバッシングが強かった)、そしてなにより無愛想でテキパキ働かない人間を侮蔑かつ否定していることである。

そもそも愛想が悪く、懸命に真面目に働いていない人が一定数いることは、いいとか悪いとか以前に政治家が引き受けるべき現実である。そして私の記憶の限りでも、今よりも昔のほうがはるかに接客における「愛想」は悪かった。接客がばか丁寧なのが普通になったのは、東京に本社のあるコンビニやファストフード店が全国の津々浦々にまで浸透した1990年代以降である。昔の個人商店は総じて無愛想であり、コンビニの接客にしても最初の頃は愛想もへったくれもない感じで、賞味期限切れの商品も平気で売っていた。そういう時代は良くも悪くも、世の中が「いい加減」であったのである。いま「昭和30年代」へのノスタルジーが盛んだが、その頃は今とは違って世の中が全然「きちんとしていなかった」のであり、衛生状態も治安も決してよくなかった時代であることは頭に入れておく必要がある。

1969年生まれで、1990年代以降の日本の姿を普通だと思っているであろう橋下府知事は、そうした「いい加減さ」に我慢がならない人間であるらしい。彼が小さな会社の社長だったら、間違いなく「出来の悪い社員」に対して粘り強く教育することなどは決してなく、「クビにするぞ!」という脅しをちらつかせながら、「そんなこともできねえのか!」と大声で罵倒するタイプである。叱られなかった社員は、「ああよかった俺じゃなくて」と思いながら、一緒になって「出来の悪い社員」を罵倒する。今橋下を支持している人々の心性には、これに近いものを感じる。

それしても、こういう明々白々なまでに政治に無能力な人が一回の選挙で知事になってしまうのを見ると、はっきり言って民主主義がダメになっているようにも思えてくる。長い間の政治活動の中で蓄積してきた信頼関係の下で選ばれた知事であれば、知事が期待したほどの政治を行なってなくても、選んだ側にも応分の責任意識がでてくるだろうが、橋下のような形だと選挙民の側の責任意識など芽生えようもなく、投票した人もちょっとしたスキャンダルで簡単に見捨ててしまうに違いない。はっきり言って、橋下は4年ももたずに知事をやめるか、それとも歴代知事以上に「官僚の言いなりになる」かどちらかだと思う。