コンビニ問題

コンビニ 不都合な真実 (ベストセレクト 767)

コンビニ 不都合な真実 (ベストセレクト 767)

 2ヶ月くらい前にも取り上げたこの本、ネット上で散見される評判は決して悪くないのだが、いつのまにかどの書店でも見かけなくなり、amazonの書評欄もひと月以上前の1件と、完全に忘れ去られている感じになっている。まさかとは思いたくないが・・・・。

 コンビニの問題点をあらためてまとめると、以下のように列挙することができるだろう。

(1)従業員を「ワーキングプア」にしている 
 上記の本でも指摘されている通り、コンビニ企業の莫大な利益は事実上、売れ残った商品や万引きされた商品を店長の給料から天引きする「ロスチャージ」で成り立っている。しかも24時間営業のため、肩書きは「オーナー」でもまとまった休みも取れないし、アルバイトの人件費や光熱費が余計にかかってしまう。さらに、パート・アルバイトはフルタイムで働いても100万くらいにしかならないが、かつてのように主婦と学生だけでまかなえた時代であればともかく、全国に数万の店舗がある現在では、30代以上の男性が「生活のために」コンビニのアルバイトをするということがごく普通の風景になりつつあり、いわゆるコンビニ店員が「ワーキングプア」の職種となっているところがある。

(2)東京と地方の税収格差の要因となっている
 コンビニは全国地方に万単位の店舗をもつが、本社は東京だけである。つまりコンビニは、高い安定した給料をもらう(少数の)東京本社の正社員と、全国地方で働く(膨大な数の)不安定・低収入の店長およびパート・アルバイトの従業員という構造を作り出している。これはコンビニだけではなく、郊外型SCやファミレス業界などにも言えるが、こうした構造は当然ながら税収や消費の格差を拡大させる要因となっていると思われる。


(3)環境悪化と資源浪費を促進している
 コンビニ業界は「地球温暖化防止」を掲げてレジ袋の削減につとめているが、全国地方で農地を潰してコンビニの店舗を建てたり、24時間営業でエアコンをかけっ放しにしたりすることが、「地球温暖化」にとってどれだけ悪影響を及ぼすのかは一目瞭然である。しかも大量に商品を仕入れた上に、売れ残った期限切れの商品は全て廃棄処分(店によっては従業員に配るところもあるが)にしてしまうので、大量のゴミを生産し続けていることはよく指摘されている問題である。

 しかしこれは、昔ながらの個人商店のほうが良かった、ということを意味するものでは必ずしもない。コンビニ業界が成し遂げたことで、素晴らしいと思われる点も少なからずある。

(1)平凡な人でも簡単に店を経営できる
 コンビニは経営のマニュアルが画一的かつ明確であり、それに従ってさえすれば誰でも店舗を経営できる。確かに創意工夫の余地は少ないけれども、それは特に創意工夫の能力に恵まれてない平凡な人でも、大過なく店を経営することが可能であるということを意味する。「生活に必要で安い」ものを売っていればよかった昔であればともかく、人々の趣味志向や流行にも配慮して様々な店舗との「競争」に勝ち抜かなければならない現在、経営のやり方や品揃えを本部で全て考えてくれることは、ある人が店を出そうと思った際のハードルを低くすることを可能にしている。

(2)匿名の安心感
 個人商店がコンビニに押されて衰退してしまった理由はいろいろあるが、単に便利で品揃えがいいというだけではなく、「顔が見える」のが嫌われたというところが大きいように思う。マスコミや学者の間では「顔が見える地域の再生」が自明の共通認識になっているが、昔ながらの「顔が見える」個人商店というのは「何をお探しですか」と声を掛けてくるのはまだいいとしても、「どこから来たんですか」「仕事は何を」ということまで聞いてくることがある。隣近所の人とおしゃべりしながら仕事をしているということも珍しくない。外から来た人や若年世代が「入りづらいな」と感じるのは当然であり、特に「外国人」「フリーター」など世間的に偏見が強い身分にある人であればなおさらだろう。それに比べると、どんな身分の人が相手でもマニュアル通りに接客し、個々の人間には全く無関心でいてくれるコンビニには何とも言えない安心感がある。人々はこの匿名の安心感を選好してきたことによって、今のコンビニ業界の隆盛があることは、やはり正当に評価していく必要がある。

 もはや、富裕層も貧困層も同様に、ほとんどの日本人はコンビニなしには生活ができないように身体になってしまっている。そうである以上、コンビニを「便利だ」と一方的に有り難がっている時代はこのへんで終わりにして、コンビニそのものを公共的な問題として考えるべき時期に(とっくに)来ていると考える。