日本型雇用問題

あまりよく言われないことだが、日本の雇用問題に大きな影響を与えているものに「先輩−後輩」関係がある。これは欧米ではもちろん、中国でもそれほどたいした意味は持っていないが、日本社会では「タメ」「同期」であるか否かで言葉遣いや付き合い方がすべて変わってしまうほどの重要な意味を持っている。日本社会における「古い上下関係」「お上意識」を批判する、どんなに「リベラル」な政治家や学者でも、「後輩」や指導学生が敬語を使って接することはごく当然のことであると考えている。

企業(特に大企業)がなぜ30を過ぎた「フリーター」を採用したがらないかといえば、単に蔑視しているということも確かにあるが、年長の「新人」が入ってしまうことで、社員への教育や組織管理がややこしくなってしまうことを避けたいという事情があると考えられる。昔の「日本型雇用」の安定性は、誰もが自然と「先輩−後輩」関係の規範に従うということに支えられていたのであり、「成果主義」が主流になりつつある今でも、こうした観念は根強く残っている。逆に言うと、20代前半のうちに正社員に就職できなかった(しなかった)人は、「先輩−後輩」関係自体があまり意味を持たないような職場、つまりアルバイトなどの不安定な非正規雇用を結果的に続けざるを得ないということになる。

よく批判される「天下り」も、「同期」が上司−部下関係になるということへの忌避感情が強いという日本的な問題が背景にあり、特にメンバーの安定性が高い官公庁組織では、このメカニズムが強く働いてしまうわけである。「地位や役職と人格は別だ」と言うことは簡単だしまた正しいのだが、実際はそう簡単にはいかないことは、われわれが日頃目にしている現実だろう。

この重要な問題を指摘する人が皆無に近いのは、われわれにとって「先輩−後輩」関係が、あまりに自然なもの受け止められているからだろう。もちろん、そういう規範自体が悪いとは全く思わないが、この問題を考慮に入れた上で議論を展開しないと、いくら就業支援や雇用の創出を行っても、ますます増大する中高年非正規雇用の問題が解消されることはまずないと考える。


ちょっと前の話だけど、こんなニュースが。

http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20071214-295382.html

問題となった日記なるものを読んだが、特に目くじらを立てるような内容だとは全く思わなかった。というより、世の中の大部分の人は、およそあのように思っているのではないだろうか。新聞やテレビで「ワーキングプア」のニュースを見れば「ひどい話だ。財界や政府は何とかしろ」と思う人も、身近にいる「ニート」「フリーター」に対しては「マジメに働く気がない」「あいつは社会性がないから」とか、必ず思っているはずである。いじめ問題も同じような構造があり、テレビのニュースを聞く分には「いじめっ子」の残酷さに憤っても、身近に「いじめられている」人に対しては「あいつの性格にも問題が」とかしか考えていない。「いじめ」撲滅の国民運動的なキャンペーンが20年前からあるのに、一向になくならないどころか悪化している側面すらあるのが何よりの証拠である。

この事件がひどく重く感じるのは、ネット上のこととは言え、「差別」に対する感受性やルサンチマンがここまで過剰に強くなっていることにある。特に「過労死は自己管理の問題」と言い放った財界のトップよりも、バッシングされた評論家のように、一見「庶民」「弱者」の立場に立っているかのような顔をしている人々に対してより激しくなっている。現政権と財界を批判して「庶民の生活の立場」を連呼する経済評論家がいるが、よくよく聞いていると、そこで言う「庶民」のイメージは世間一般からも評価されるような「まともに働いている人」である。しばしば周りから「厄介者」扱いされがちな、不安定雇用層や無業層がそこではあまりイメージされておらず、「失言」をしなければよいがと時々に心配になってしまう。「失言」や「偏見」を許容できないような社会は危険であると考えるが、そうした危険水域に近づいているのかなという気がする。