現代日本の階層構造

超適当だが、ノートみたいなものとして。

(1)新富裕層
 ベンチャー企業家、大企業のエリート正社員など、俗に「勝ち組」と言われる社会層。基本的に上昇志向が強いので、安定した地位に満足して仕事が緩慢な行政や企業に対しては、「既得権に安住している」と極めて批判的かつ否定的であり、アメリカ型の自由主義経済体制を支持している。どちらかと言えば、経済的利害もあってナショナリスティックな感情は弱いという以上に無関心なことも多い。親米であると同時に「東アジア共同体」の主導層でもあり、「男女共同参画」への理解度も高く、思考様式は基本的に「リベラル」であると言ってよいと思う。新聞記者や大学教授などの知識人は、この層を「新自由主義」として批判することが一般的だが、その他の社会問題(特に男女共同参画や移民受け入れ)に対するスタンスは実のところ親和性が高く、結果的に後押ししてしまうことがしばしばある。

(2)旧中間層
 多くは1980年代以前(あるいは以後の一定数も)に就職した正社員や公務員など、いわゆる「終身雇用」「年功序列」といった、安定した「日本型雇用」を前提にした生活スタイルを身につけてきた社会層である。「従来の安定した生活が奪われつつある」という危機感が強いため、生活保守主義的傾向があり、劇的な社会変動をあまり好まないと同時に、そうした変動を引き起こす外国(特にアメリカ、中国)の影響に対してナショナリスティックな感情を持ちやすい。

(3)不安定低所得者
 中小企業の低所得正社員を含む、派遣社員、パート・アルバイトなどの非正規雇用の労働に従事している社会層であり、一部に「プレカリアート」とも呼ばれている。「今の苦しい生活からなんとか逃れたい」「先が見えない」という絶望感が強く、ラディカルな社会変動に対する潜在的な欲求を抱いている。大企業の正社員や公務員は「既得権層」として憎悪の対象であり、現状へのラディカルな改革を志向する(1)の新自由主義的な動きを、結果として支持する態度をとりやすい。「反戦」「東アジア友好」といった穏健で良識的な主張は、既存の支配層の建前的な言説として反感の対象になりがちであり、それらを暴露趣味的に批判するナショナリスティックな意見にむしろ同調しやすい。

(4)小規模自営層
 農家、漁業、小商店主、町工場経営など、戦後の「55年体制」を支えてきた社会層であり、1990年代以降はかつてのような厚みは全くなくなっている。自民党内の「ハト派」と、国民新党(部分的には社民党共産党)などの支持基盤である。現実的に層は薄くなったが、日本における「額に汗して働く人々」のイメージは、政治的な立場に関係なく依然としてここに置かれているように思われる。

ここ数年「格差社会」と言われてきたが、日本の圧倒的大多数は依然として(2)の層であることは強調しておく必要がある。(2)の層は学校を卒業すると「正社員」になって安定した給料を手にし、30歳くらいになればマイホームやマイカーを持つという「一億総中流」の人生経路をほとんど空気のように受け取ってきた。そのため、そうした安定した生活を成果主義的な「競争」の末に獲得しなければならないという現実の変化への適応に苦労を強いられている。既に定年を迎えた年金受給者も多く、生活水準が傾向的に低下し続けているので、現実の所得格差以上に「格差社会」の言説に強いリアリティを見出しやすくなっている。テレビやネットで目にする「ネットカフェ難民」「子供への殺人」のニュースに過剰に敏感になり、「ますます世の中が悪くなっている」と思い込みがちである。

こうした不安感は(3)の多くを占めると思われる、「豊かで平等な日本社会」をやはり「空気」のように消費して子供時代を過ごしてきた、「団塊ジュニア」の世代にも違った形で継承されていると言えるだろう。ただそれに対する反応は大きく異なっている。社会の過剰な流動化に不安を感じる(2)に対して、(3)はむしろそういう流動性こそを潜在的に求めている。流動化による上昇を期待するのでは必ずしもなく、上の層がもっと下に落ちてくれば自らの社会的地位や向けられる視線が相対的にマシになるからである。これは社会保険庁の不祥事をめぐって、(2)が年金制度の持続を必死に求めるのに対して、(3)が年金制度そのものを不要と見なす気分が強まっていることを見れば明らかである。

橋本政権の「構造改革」以降、特に小泉・安倍政権においては、(4)の小規模自営層を長期不況の元凶(=抵抗勢力)としてバッサリ切り捨て、「景気回復」のために(1)の富裕層の拡大を積極的に支援する姿勢を貫いた。(2)の中間層の生活に向けた政策はほとんど皆無で、企業労働者は中高年の雇用を維持するために新規採用を縮小し、結果的に(3)の層が拡大していった。福田政権は直接的には(4)を対象とした政策を打ち出して「改革」をペースダウンさせている。このことが、「改革」がいつまで経っても生活を楽にしないという現実に失望し始めている(2)の層の、福田政権への緩やかな支持につながっているように思われる。ただし、これは(3)の不安定低所得層の疎外感をより一層強める可能性があり、次回の選挙では自民党を完全に見捨ることになるであろうと予想される(麻生太郎が総裁になれば若干風向きは変わるかもしれないが)。

個人的にはというか、(4)の職業・生活スタイルを新しく再構築していくことが、最近の上昇志向を拒絶する「スローライフ志向」を考えても、人口減少時代に入ったこれからの日本社会の体力に見合っていると考える。もちろん、今の政治的・経済的な環境では、現実的には絶望的に困難である。最も有り得そうなのは、(4)の小規模自営層がますます衰退し、(2)の中間層の労働環境と生活水準が(3)の不安定低所得層の水準に、一致までとはいかなくても徐々に下がって近づいていくというシナリオだろうか。