「苦労」を語るな

昨日の話と若干つながるが、最近「フリーター」などの不安定低賃金層の問題に関する話題で、ところどころ「反動」が起こりつつあるような気がするのが気がかりである。要するに、「彼らはそんなに苦労しているのか?どこまでマジメに就職活動をやってきたのか?」と言うわけである。不安定低賃金層の問題が認知されるにつれ、皮肉なことに「必死に頑張っている連中ばかりじゃないではないか」という疑念が、(おそらく)「正社員層」の側から徐々に湧き上がっているように思われる。

これは「フリーター」や「ワーキングプア」を扱ってきた人たちにも、若干の問題があったと思う。というのは、彼らは「フリーターたちがいかに苦しんでいるか」を、過剰なほどに強調してきたからである。それはもちろん十分な理由があってのことだけれど、そういう方法で世論を喚起し続けようとすると、「こいつの場合は単にだらないだけだよ」という批判に抵抗できない。「苦しんでいる」という声に対して正社員層は声を大にして言うだろう、「俺は年収1000万だけど休みなく働き続けて高い税金を払っている。楽しているのは一体どっちなのか」と。

不安定低賃金層の問題を扱った本へのネット上での書評では、必ず「結局個人の責任ではないのか?」という批判が、多数派ではないにしても必ずある。それは、「苦労している」「悲惨な生活」を強調すれば、必然的に出てくる反応なのである。

だからこの問題は、徹底的に政策的および制度上・社会構造上の問題として論じなければならないという基本原則を再確認すべき時期に来ている。責められるべきは、あくまで政治や財界の指導的な地位にいる人たちであって、「フリーター」個人の「だらしなさ」や「既得権層」の「楽をしている」ことなどでは決してない。だから、若年低賃金層の「だらしない」というバッシングに対して、「それは政策の失敗と社会構造の問題」と非常に真っ当な批判を行なう人たちが、しばしば「彼らも必死に頑張っている」「彼らこそ被害者だ」というメッセージを送ることには、心情的に共感できる部分がないわけではないにしても、やはり大きな疑問と違和感がある。それは必然的に、正社員層からの「反動」を招くことになるだろう。

ともかく、「苦労してないのはけしからん」みたいな雰囲気で、しかもそれを利用していろいろ雇用や労働の問題を語るのはもうやめにしてほしい。それにしてもフルタイムで働く公務員とかは「楽している」とバッシングされるのに、市に数時間のパソコンの前に座り、株の投資だけで儲けているような人が批判されないというのはよくわからない。私たちの給料に直接反映されているのは、後者の配当のほうであるにも関わらず。私は単なる「お上意識」のせいだと思っているのだが、どうなんだろうか。