気配り政治の終焉?

夏休み明けの始業日に校門前まで来て帰ってしまういじめられっ子のごとく、国会開会前にビビッて逃げた言われても仕方のない安倍前首相だが、その前になんであそこまで追い詰められてしまったのかを考えてみる必要がある。

もともと安倍は「タカ派」の代表格と見られていて、私を含めて、彼を支持する人も批判する人もその点に大きく注目していたのだが、就任してみるとタカ派的な主張をことごとく引っ込めてしまい、途端に気配りとバランス感覚を重視する政治に豹変し、完全に肩透かしをくらってしまった。

豹変そのものは政治の常だから、そうした変化自体は悪いことではなかったと思う。小泉前首相を除く歴代首相のほとんども「気配り政治」だった。問題は、そうした気配りとバランス感覚を評価するための政治的な回路が、結局は皮肉にもポピュリスティックな選挙で獲得した衆議院議席数という、小泉首相の遺産以外になかったことにある。赤城徳彦農水相の問題にしても、かつてであれば「身内をかばう」ことによって自民党の信頼をかえって得られたはずであり、赤城の地元の有権者からも「よく先生を守ってくださった」と感謝されたはずであった。しかしそうは全くならず、マスコミ上で盛り上がった、事務所費という今まで誰も問題にしてこなかったような瑣末な話題が選挙結果に全面的に反映してしまい、党内の求心力も失わせることになった。

もちろん、第一義的には安倍自体の政治的能力の問題かもしれないが、彼をここまで追い詰めたのは「気配りの政治」がほとんど意味をなさなくなってしまったことが大きいように思う。そして安倍自身が「気配りの政治」でのし上がった人ではなく、むしろ「気配らない政治」の小泉首相の側近として、そして北朝鮮外交などにおけるマスコミ受けする歯切れのよい主張で人気を得てきたという矛盾があった。もともと自民党内の気配り型の政治だった人たちは、小泉政権時代に安倍と政治的に距離ができてしまったり、党外に追い出されたり、また今回の選挙で落選したりしていった。

安倍は首相になって、すぐに「気配りの政治」「バランス感覚」が第一に重要だと認識した。彼に気配りの能力があったかどうかはともかくとして、それ自体は全く間違っていなかった思う。安倍首相の辞任によって、こうした「気配りの政治」を「改革」の名の下に全面的に捨て去ってしまうのではなく、新しい形で再生していくことが必要であると考える。