「成長」はあきらめよう

参議院選挙で自民党が大惨敗した。年金記録問題や農水相の事務所費問題という、実のところあまり議論するような中身がない問題が選挙の焦点になってしまい、自民党の「成長路線」に対する是非に関する議論がその影にかくれてしまったのが残念だった。

自民党の「成長路線」に対して、「貧富や都市・地方間の格差を拡大するからよろしくない」という野党の型どおりの批判が繰り返されたが、実のところあまり批判になっていない。自民党の執行部にしても、格差をあくまで「過渡期」だと考えている。最終的な目標は「国民全員を平等に豊かにする」ことであり、その点では野党と基本的な違いはない。自民党増税すら公約に掲げない野党の「格差是正」政策を「バラマキ型」で現実性がないと批判したが、その点に関する限りでは全くその通りで、「国民全員を平等に豊かにする」を目標に掲げる限り、やはり今の自民党の「成長路線」のほうが(もちろん無理に決まっているが)野党に比べると現実性がまだあるように見えることは否定できないだろう。

だから自民党の「成長路線」を批判するにしても、まず「国民全員が平等に豊かになる」ということを現実的な政治目標としては捨て去る必要があるのである。「平等に豊かに」という言葉がリアルだったのは、あくまで国民全体が「豊かさ」に向けて上昇している時代、つまり高度成長からバブル時代までの極めて特殊な時代でしかない。私はその意味で自民党や財界の新自由主義路線を全面的には否定しないし、また「平等」志向が強い国の代表と考えられてきたフランスの大統領選の結果を見ても、それは好き嫌い以前の拒否不可能な現実であることは明らかである。

より重要なのは、新自由主義路線が多数の低賃金労働層に支えられて成立している体制へと向かわせる、という当たり前の事実をきちんと政策に反映させていくことにある。「フリーター」と呼ばれる流動的な低賃金層の増大は経済的な要請でそうなっているのであって、彼らを消滅あるいは減少させることはいまの経済制度を全面的に解体しない限り不可能である。これはいまやほとんど常識的な事実だけれども、自民党や財界は「国民全員が平等に豊かになる」ことを目標に掲げているので、「フリーター」に対して、相も変わらず「再チャレンジ」「機会の平等」などという美辞麗句を連ね、官僚組織や労働組合などの「安定した既得権層」を仮想敵にして叩いている。

むしろ、「国民全員が平等に豊かになる」ことを断念すれば、日本の豊かさがフリーターなどの低賃金労働層に支えられているという現実を直視させ、彼らに対する何らかの社会的なケアを施さなければ社会がうまく回っていかないのではないか、という方向に議論が進む可能性がある。だから「景気がよくなっているのに不安定な低賃金層が増えている」と批判するのではなく、「不安定な低賃金層によって景気がよくなっているのだとしたら、彼らも普通の社会の一員として制度的に扱っていく必要がある」と提案していく必要があるのである。「誰もが安定した正社員の地位を獲得できる社会」という夢物語を振りまいているという点では、安倍首相もそれを批判する野党も決定的な違いはない。

そういう方向になかなか議論が進まない理由の一つには、今の社会をリードしている50から60代の団塊世代が(前の世代が創りあげた)日本型終身雇用制度の全盛期を、若いときに当たり前のように過ごしてきたことが挙げられる。だから「国民全員が平等に豊かになる」という幻想からなかなか抜け出ることが出来ず、若年の低賃金労働層に対しても「頑張ればなんとかなる」「問題は機会の不平等」という結論に飛びつきやすいのである。

10年以上前から戦後体制に対する「構造改革」が唱えられ続けてきたが、「国民全員が平等に豊かになる」という高度成長期の神話を素朴に訴え続けてるという意味では、依然として「構造改革」は全く何も進んでいない。「もう成長はあきらめよう」と正直に言ってくれる政党があれば、その政党を真っ先に支持するのだけれど。