労働と年金問題

・NHK「日本の、これから

先日NHKで労働・雇用問題に関する討論番組があった。会場の意見が結構半々なのに、視聴者の投票では圧倒的に差がついたのが印象的だった。いろいろややこしいことを言っているが、要するに結論は二つだ。

(1)フリーターを含む非正規雇用の労働者も正社員と同じように「社会人」として処遇すべき

(2)企業の従業員を大幅に増やすべき

(1)については、「同一労働同一賃金」という言葉で括られることが多いが、私はこのスローガンにあまり賛成していない。その人の年齢や立場によって給料が異なることは、私には非常に自然なように思われる。「同一労働同一賃金」を言い立ている人は、要するにその人が働いている局面だけしか見ていない。この原則を字義通りに解釈すると、20年間同じ会社で懸命に働き続けても、仕事の内容が同じなら新入社員と給料が同じであるべきだとということになるが、やはりそれはおかしい。それに前にも書いたが、これを今の状況の中で導入すると必ず従業員全体の賃金を下げる方向に圧力がかかる。その分雇用も増える可能性があるが、いわゆる「ワーキングプア」が正社員層にまで拡大して増えていくだけだろう。

「社会人」として処遇するというのは、要するにフリーターが世間に向かって、「アルバイトしかしてません」ではなくて、「コンビニのレジ打ちやってます」と堂々と言えるようになること、言ってみれば「フリーター」とかいう言葉を消滅させることなのである。コンビニのレジ打ちでも当然のように生計が成り立ち、結婚なども充分可能になるような社会を設計してくことが最も重要なことであって、それに比べると賃金の同一化というのは二次的な問題である。「同一労働同一賃金」は一見正しいようでいて、私にいわせれば「成果主義」の別名でしかなく、だから結局は成果主義で指摘されることと同様の問題が発生するしかない。

(2)今の労働問題の根本的なところは、企業が仕事が忙しいのに人を積極的に雇おうとせず、市場競争に勝つために能力以上の仕事を引き受けてサービス残業が増え、結果的に非正規の低賃金労働者も増えていくということにある。残業は工夫次第で減るといっていた人もいたが、時給に換算すると200円ちょっとだったと言う人までいるのであって、そんな小手先の対応で解決する問題ではない。サービス残業は立派な「犯罪」(特に家計に直結する!)であるにも関わらず、ほとんどの人にって「慣例」となってしまっているせいか、あるいは「楽に仕事をしようとしている」と(考えてみれば当たり前のことだが)思われたくないせいか、あまり批判の声が高まらない。番組を見てても不思議なことに、なぜかサービス残業の問題で「そんなに忙しいのになぜ人を雇わないのか」という疑問がなかなか出てこない。

ごく平凡な人は、企業経営者の「頑張りが足りないからだ」「それでは競争に勝てない」というギラギラしたメッセージに弱い。確かに平凡な人は「頑張っていない」のは事実であることが多いので、強く反論できないのである。しかし、私はそういう言葉はほとんど立場を利用した「脅し」であり、また社員を増やさないという安直な手法を採っていることに対する言い訳にしか思えない。もちろん経営者も楽をしているわけではなく、いっぱいいっぱいのことが多いが、だからと言って戦時中でもないのに「みんなで苦労する」ことをよしとするのは、やはり社会として異常としかいいようがないだろう。

それにしても、昔の「社長」と言うのは10時くらいに出勤してのんびりと新聞を読んで・・・という、要するに「自分で働くのではなく全体を見渡す役割の人」というイメージだったのだが、番組に出てるような経営者を見ると、朝から晩までビジネスのことしか考えていないような張り詰めた雰囲気の人が目立つ。それでそういう人が、「頑張ればなんとかなる」「仕事なんかいくらでもある」と無邪気に主張する一方で、普通に新聞を読んでテレビを見てれば知らないわけがない若者低賃金層の問題については驚くほど無知だったりする(団塊世代以上は一般的に無知)。ある意味で純粋で真面目なのだが(実際「信者」が何人かいたりする)、そういうタイプの人がビジネス界のリーダーになっていくことは、やはり多くの人にとって「キツい」社会になっていくだろうと思う。

(1)(2)の課題について、無理だとか難しいとか言う人がいるかもしれない。しかしこれらは無理とか難しいと言う以前に、解決しなければならない喫緊の課題ある。あとは、その解決方法を一生懸命考えるだけであり、それが政治や財界、労働組合(フリーター組合を含む)の仕事である。具体的にどういう方策があるのかということは正直よくわかっていないが、今の問題はそれを考える段階にすら至っていないことである。

ちなみに森永卓郎は、その意見には賛成したい気持ちもないわけではないが、どうも深刻であるはずの問題を例の語り口で「軽く」してしまっているところがある。しかし、例のホワイトカラー・エクゼンプションの提唱者である学者の、「そこにいらっしゃるテレビのディレクターなどクリエイティブな仕事が増えている」として賃金の時給換算の無効を主張したのに対し、「テレビのディレクターこそ時間に追われて仕事をしている。全然クリエイティブじゃない」と反論していたのはよかった。時給換算できない仕事が増えているという主張は大間違いだと思う。「時給換算できない仕事」でぱっと思いつくのは、デザイナーとか小説家とか芸能人とか、昔からある、一万人に一人もいないような職業である。圧倒的大多数の仕事は、依然として時給で換算するほかない仕事だろう。



年金問題

盛山和夫年金問題の正しい考え方』(中公新書)を読む。1973年の制度の欠陥が根本的な問題だったとか、未納はむしろ年金制度の維持それ自体にはプラスとか、積立方式は間違いとか、知らなかった常識に反することがいっぱい書いてあって面白いが、内容を丁寧に理解しようとすると、ちょっとどころじゃなく難しい。本当に国民を説得したいなら、メジャーな論壇誌あたりにもっとわかりやすい論文を一本書くべきだろう(というか書いて欲しい)。

一つだけ。「年金に加入することは得だ」と力説されているのだが、おそらく今未納者の全てが「得」だと認識したとしても、年金に加入したいと思う人は大して増えない気がする。そもそも、「なぜ40年後のために今の負担が増えなければならないのか」ということに対するコンセンサスが著しく低下しているからである。毎年収入が大して増加しないのに仕事量ばかりが膨大なサラリーマンや、将来を絶望視している低賃金の若者層にとっては特にそうだろう。本音は「そんな先のこと考えたくもない」「別にどうでもいい」のであり、それが表にでてくる建前的な意見としては「年金制度が不安」ということになっているように思われる。いま積立方式がもてはやされるのは「貰いたいやつだけが払えばいいじゃないか」という気分にマッチしているからだろう。

それに非正規雇用の増大の話が全く出てこないが、日本では公務員や正社員にならないことは年金制度そのものから遠ざかる(=無知になる)ことを意味しているのであり、あきらかにこれは未納者の増加に直結している問題である。「損」だと思って確信犯的に年金を払っていないのはおそらくは一部であり、大部分は制度自体に関わらざるを得ないような機会がなく、制度に対する知識もない(実際難しい)ことによる無関心に起因しているように思われる。今までの年金制度は、安定した収入のあるサラリーマン層以外にとってはあまり適した制度ではないのであり、安定したサラリーマン層が減れば制度自体が衰退していくのは当たり前である。

社会保険庁が散々なバッシングに遭っているが、もちろんそれ自体は当然だとしても、何がどう悪いのかはもう小学生でもわかる話のはずだろう。こうした馬鹿騒ぎのために根本的な年金制度に対する議論が著しく阻害されていることに、そろそろ気づくべきである。思い起こせば2005年の総選挙のときも、本当にどうでもいい「郵政民営化」の前に、年金制度問題の議論がかき消されてしまった。