法律違反

コムスンの「悪行」がいろいろ暴露されるようになっている。堀江貴文村上世彰もそうだったが、それまでむしろ高く評価さえされていた人物や企業が、「法律違反」が明らかになった途端に空気が一変し、擁護する人もなく「悪者」としてバッシングされるというパターンを繰り返しみせつけられて、正直うんざりしている。コムスン自体はよく知らなかったにしても、介護業界の現場が極めて深刻な状況にあったことは、ど素人の私でも耳にしていたくらいだから、テレビや新聞の記者が知らないわけがないだろう。

そういうことを何一つ書いてこなかったのに、そしてそれが介護事業を市場の「競争」にゆだねたことに問題の根本があることは誰でもわかることなのに、「違法」がはっきりした途端にはじめて「金儲け主義だ」と、道徳的なバッシングに走る。コムスンにかわって出てきたニチイ学館の評判もあまりよろしいものではないが、そういう話は新聞やテレビに一切出てこない。一体マスコミは普段何の取材をしているのかと、一言文句を言いたくなるのは私だけではないだろう。

ずっと前にも書いた常識的な話だが、「法律に違反すること」と「悪いこと」はぴったりと重なっていない。法律は国家というシステムの秩序を維持し、一握りの権力者の暴走を抑止することが至上命題であって、「悪」を罰するためにあるのでは必ずしもない。私に言わせれば、村上ファンドコムスンは法律に違反する以前に明らかに「悪かった」のであり、それは常識のレベルで判断できたはずのことだ。日本人は明白な「法律違反」にならないと、善悪が識別できないほど堕ちてしまったのだろうか。

国会議員の石原伸晃コムスンに対して「モラルの低下」などと怒っていたが、一見真面目なようでいて、これは要するに「私たちが対処すべき問題は特にないし、責任もない。彼らが悪かっただけ」と開き直っているようなものである。悪いことに、こういう開き直った「政府の公式見解」にテレビも新聞も全て付き合ってしまっているのが現状である。テレビや新聞は「報道の自由」の問題なると、どんな些細なことでも目を吊り上げて政府を批判するが、検察が「法律違反」と認定するまで、どんなひどい問題でもほとんど何も批判できないという点では、極めて権力に従属していると言わざるを得ないだろう。