大増税時代は宿命である

また昨日の書き直し。またこういうことをやっていると信用されなくなかもしれないが、納得できなかったので・・・・。

10数年前は「大増税時代は避けられない」という人が結構いたように思う。経済の素人である私も「高齢社会化するし、仕方ないのかな」と漠然と思ってきた。

ところが最近そういう主張が全く影を潜めるようになっている。特に政府やマスコミのレベルでは、ほとんど経済成長による税収増加という以外のアプローチが語られなくなっている。共産党社民党など、自民党の経済成長路線を批判する人々も、「増税」を決して口にせずに「無駄な財政支出を減らす」ということばかり言い、その舌の乾かぬうちに「社会保障の充実を」と平然と語る。「財源はどこから?」という自民党からの批判に弱く、世間からも「きれいごと」とそっぽをむかれるのは当たり前である。インターネットでも、官僚への「楽をしている」「贅沢だ」という無意味なバッシングばかりが横行していて、増税の必要性を語る意見はほぼ皆無である。

本当は増税時代は避けられない宿命である、ともっとはっきり言うべきなのだ。家族が介護を負担する能力がなくなり、企業が年金や保険を負担する余裕がなくなっているのはあまりに明白な事実なのだから、その負担を税金という形に変えていく以外に方法はないはずである。それでも「増税は嫌だ!」と言い張るとしたら、もはや負担能力の喪失した家族や企業、地域社会にあくまで自助努力を要求するということを意味するが、このほうが人々の生活の苦痛は明らかに増大する。皮肉にも、家族や地域社会の「伝統」を重視する保守派のほうが、「子育てや介護は家族で」みたいに、こうした自助努力を喧伝する傾向がある。介護労働の現場では、長時間労働・低賃金で30前後でやめる人が後を絶たないが、増税による人員の増大と給料の引き上げ以上の解決法があるようには思われない。行政ではなくNPOに任せてもよい(理想的にはそのほうがよい)が、その場合もやはり大量の税金投入が不可欠であることにかわりがない。

「ホワイトカラー・エクゼンプション」を弁護をする人の中に、労働者保護に対する規制はかえって強まると力説していた人もいたが、そうだとすれば今でも有名無実化している労働基準監督署の人員を大幅に増やさなければならない。いわゆる「小さな政府」「夜警国家」に移行したとしても、官僚の役割が「命令」「指導」から「監視」に移るだけで、官僚の必要人員が減るわけではない。耐震強度偽装の問題でも審査を「利益を上げる」ことを至上命題にする民間企業に任せたため、問題発覚後に「一民間企業に責任が取れるわけない」という態度を一斉に企業がとってしまったところに根本的な問題があった。最初から行政が人員を投入していれば、問題が起こったとしても様々な事後処理が行政の責任の下に遂行されただろう。

こういう当然過ぎることが全く語られなくなり、「経済成長による税収増加」とか「無駄な財政支出の削減」とかいう、それ自体は人々の生活を楽にするとは限らず、根本的な問題の解決にも全くなっていない主張ばかり声が大きくなっている。繰り返すまでもないが、経済成長しても平等な国民への配分のシステムが構築されていなければ何の意味もないし、行政の歳出を減らすということは行政の創出する雇用とサービスを減らすということに直結する。

まだ誤解している人がいるのかもしれないが、税金が高くなると生活が苦しくなるわけでは決してない。物価が安いことが「豊かさ」に全く繋がらないことは、この10年の間嫌というほど見てきたはずだ。よく指摘されるように、格安競争が低賃金労働層を大量に生み出し、それによって低賃金層は格安店への依存が強まり、ますます格安競争を激化させて低賃金層が増え、労働時間ばかりが伸びていくという悪循環は、いまや労働現場ではありふれた風景になっている。こうした悪循環をたちきり、企業と低賃金層に「息をつかせる」ためには、やはり増税による税金投入は不可欠である。竹中平蔵はもうずっと前から「デフレを終わらせれば」とか、「セーフティネットの充実を」とか言っているが、この二つは彼が大臣だった以前より状況が改善しているとはとても言えないだろう。

増税すると経済の活力が下がる」と言う人もいるかもしれないが、百歩譲ってそれを認めるとしても、将来上がるがどうか未確定の「経済の活力」以前に、いま現実にヒビが入っているところの手当てを後回していいて理由には全くならない。今の自民党政府の経済政策は、私に言わせれば神棚に向かって「頼むから景気がよくなれ!」と毎日祈っているだけで、後は何もしていないように見えると言ったら言い過ぎだろうか。

自省を込めて言えば、なんでここまで現実には不可避である「増税」が官民一斉に語られなくなり、「税金に頼らずみんなで苦労する」という、大企業と自民党政権が手を叩いて喜ぶようなことを、ここまで唯々諾々と受け容れているのか。正直なところ、この空気にはそら恐ろしいものを感じる。