社会保険庁とコムスン

社会保険庁コムスンの問題について。両者とも高齢者の生活に直結する「不祥事」なのだが、その性格は対称的である。

社会保険庁の不祥事はわかりやすい。最終的に解決できるかどうかどうかはともかく、「年金記録を明らかにする」という目標ははっきりしている。社会保険庁に対しても「もっとしっかりやれ!」というありきたりの批判で済むし、当事者も重大なミスをしたということを素直に受け容れられやすい。これからどのように修正していくのかもそんなに難しいことではない。だから小さな問題ではないにしても、解決の方向性は明快なので、それほどの深刻さは感じない。

コムスンの問題はそれとは全く性質が異なる。散々指摘されているように、介護事業というのは根本的に「儲からない」、というよりも儲けを犠牲しなければならない局面が多い事業である。だからこそ大量の税金を投入している。コムスンと折口会長の間違いは、介護事業も純粋なビジネスになりうると考えてしまったことにある。そこで、利益が期待したほど全く上がらないというあせりが、ますます拡大路線による「見かけの成長」への執着を強め、「不祥事」に手を染めてしまったということだろう。

コムスンの問題は深刻である。社会保険庁の問題は、ある意味で「だらしがない!」の一喝でおしまいだ。しかしコムスンの場合は、明らかに「介護ビジネスを一生懸命追求するとどうなるか」の論理的な帰結であり、折口が会長ではなくても多かれ少なかれ似たようなことが起きただろうと思われるのである。社会保険庁の職員も反省などはしていないにしても、「しょうがねえなあ」くらいは思っているかもしれない。しかし、折口会長は「こんなに一生懸命訪問介護の拡大に貢献してきたのに」と、深々と頭をさげつつ心中思っているのではないだろうか。「しくじった」とは思っても、「悪いことをした」とは全く思っていないはずだ。

構造としては耐震偽装問題と全く同じである。要するに、そもそも利潤を生み出しようがない業務を「民間の活力」の名の下に「競争」させてしまったことが問題を引き起こしているのである。耐震強度の検査とか介護とかがそれ自体利益を生み出すものではない(また生み出すべきものではない)以上、無理に利益を生み出そうとすれば人件費を削減するとか、仕事の質を落とすとか、仕事の量を能力以上に引き受けるとか、最終的にそういう方向でしか「利潤」を追求せざるを得なくなる。折口会長のもう一つの事業の柱である労働派遣業もやはり似たようなもので、利潤を上げようとしても事業の性質上、「仕事の量の増加」と「賃金の抑制」以外の手法がなかなかない(今のところそれで「大成功」しているが)のである。

まだ誰も言っていないが、介護事業を市場競争に日々さらされているような、(特にグットウィルのような急激に拡大・成長した)民間企業に本来は任せるべきではない。前にも書いたが、民間企業だと最終的に「倒産」ということが可能性としてありうるのであり、倒産したら被害者に何の落ち度もない「不祥事」があっても、全ての補償やアフターケアが不可能になることは耐震偽装の問題で嫌というほど見てきたはずだ。こういう構造を変えずにコムスンを「金儲け主義」と批判しても、在宅介護事業が別の業者に変わったとしても、「ヘマはしなくなる」だけで根本的な問題は何も変わりはしないだろう。市場競争にある民間企業は「儲け続ける」ことがイコール「会社が生き残る」ことなのだから。

コムスンの問題で、過労と低賃金で苦しむ(そして途中でやめてしまう)介護労働の深刻な状況が、あらためて広く語られるようになった。人員と賃金の増大という子供でもわかる単純な解決法を、介護事業者がなるべく採りたがっていないもはや誰の目にも明らかであり、またそれは一民間企業である以上は一概に非難できないのである。繰り返すが、こういう問題に接するたびにやはり「大増税」が避けられない政治的課題であることを痛感する。