みんな景気のせい?

今にはじまったことではないが、今の社会で起こっていることを説明するときに、「景気」というのが決まり文句になっている。実際、雇用情勢は若干よくなっているらしいが、その理由は必ずといってよいほど「景気が良くなったから」だと言われている。出生数も若干増加しているというのが、その理由もまた「景気が良くなった」である。テレビと新聞しか見ない商店主や町工場の社長が「景気が良くなれば・・・」と漏らすのは仕方ないにしても、政策担当者や専門家とおぼしき人まで、いろんな社会問題を「景気」のせいにしていることが多い。

今の日本社会が本当に「景気」がよいのかどうかという問題はひとまずおいておくとしても、当たり前の話だが、「景気が良くなる」ことと「雇用が増える」「出生数が増える」の間には、もっと説明しなければならないことが膨大にある。景気の上昇と雇用の増加が無関係だとまでは言わないが、蓋然性自体があまり高くない。中国や韓国も景気はいいが、(特に大卒者の)雇用状況は日本以上に深刻なところがある。前にも少し言及したが、「雇用なき景気回復」という世界的な潮流は、別に特に経済を勉強しなくても、そこらへんの雑誌や新書を手にとれば出てくる話である。政府中枢の経済の専門家たちは、こういう素人でも手に入る知識を意図的に無視して「景気改善で雇用回復」が普遍的な公理であるかのように語ってきた(こんなデタラメを平然と垂れ流してきた竹中平蔵は二度とアカデミズムには戻れないだろう)。むしろ雇用の改善は、団塊世代が大量に退職しはじめているから、という小学生でも理解できる話からはじめたほうがわかりやすい。出生数の増加にしても、人口の多い団塊ジュニアがちょうど出産適齢期にあると理解したほうが、より納得できる説明である。そもそも景気が良かろうと悪かろうと、人口構造を考えれば10数年後には出生数が今よりはるかに下がっていることは確実である。

もちろん、こうした要因が全く語られてないわけではない。しかし、指摘されてみると当たり前すぎることが先に語られないで、なぜか開口一番「景気が良くなったから」という、実のところ因果関係がよくわかっていない説明がなされてしまうのである。これを単なる俗説として退けるのは簡単だが、こういう俗説に基づいて「いまは一般の人々の生活が少々苦しくなっても、大企業やベンチャー企業の収益を増大させることで日本社会全体の景気が底上できる」という、論理的には飛躍だらけとしか言いようのない政府の政策が正当化されていることを考えると、なかなか深刻な問題である。

景気回復の実感がわかないと嘆く人は非常に多い。しかし、詳しい仕組みは知らないので推測で言うが、政府の景気動向指数を実感出来る人が限られた層の人々だけになり、景気の指数と人々の実感とが連動しなくなった(昔がしていたかどうかもおそらく微妙だが)と理解するほうが正しいような気がする。いま必要なことは、景気をいかによくするかを考えることではなく、一度頭を冷やして、景気が良くなっても社会が良くなるとは限らないというサルでもわかる常識に立ち戻ってみることである。