右傾化はほんとうか?

最近マスコミでは「右傾化」を警戒する発言が目立っている。「右傾化」というのであれば、核武装をしてでも日本という国を防衛するうんぬんの議論や、大東亜戦争は聖戦だったみたいな議論が増えているということを意味しなければならないが、今一つピンとこない。「若者バッシング」「ジェンダーフリーバッシング」というものもそうだけど、私はそういう主張をする人に実際会ったことがほとんどない。「ジェンダーフリーバッシング」や「右傾化」に属すると思われる知識人は、アカデミズムでは全然評価されていないし(そもそも論じている内容もひどすぎるし)、職場でも馬鹿にされているか腫れ物扱いかどちらかだろう。

はっきり言うが、「右傾化」に属するような発言は一般社会ではまだタブーに近いし、とくに学者の間では「保守」や「右翼」と見られることを極度に嫌がる雰囲気があり、『正論』『諸君』のような雑誌に論文を書くことは今でもかなり勇気のいることで、学者としての信用を落す危険性が大きい。だから日本社会全体が「右傾化」しているかと言われても、いまひとつ納得しかねるところがある。安倍首相にしても、過去の戦争に対する肯定的なニュアンスを少しでも込めた発言というのは絶対にできない。野党の側も、そうした発言を絶対にできないことを充分すぎるほどわかっているので、あのような万が一の「失言」を期待するような詰問調の質問になるわけである。「右傾」の発言が公的な場面においてはタブーであることは、「右」の代表格の一人と目される安倍首相も重々承知である。

過去の戦争を肯定するような議論や、中国・韓国を馬鹿にしたり罵倒する類の議論の流行を問題視することは、それはそれで必要である。だが、それを社会全体の「右傾化」しているかような旧態依然の言葉で要約して、しかもその原因を社会的な閉塞感やストレスに還元するような粗雑な議論を展開するくらいなら、完全に無視してしまった方がはるかによい。前にも書いたが、劣悪な批判は批判対象をますます悪化させることが多いからである。本当に「右傾化」と呼ばれるような社会的趨勢があるのであれば、同じ日本社会に生きている以上、その中に少しでも共感できる何かを含んでいると考えるべきだろう。ところが実際は、「右傾化」を腫れ物のように遠巻きにしてさけながら、眉をしかめながらグチグチ批判するものが目立っている。「ネット右翼」に着目して批判する人も、ややレトリック過剰で、面白いけど今一つピンとこない感じである。そうした批判の仕方が、社会的な共感を呼ぶことが決してなく、「右傾化」に対する批判としても全く有効でないことは強調しておきたい。