北朝鮮ミサイル問題

北朝鮮のミサイル基地を先制攻撃しようという言う意見が、公然と出され始めているようだ。はっきり言ってやめるべきである。憲法の問題以前に、莫大な税金を使う上に成功率はきわめて低く、さらに国際的な支持もあまり得られないだろう。先制攻撃は金銭的にも外交的にもリスクがあまりに高すぎる。外交下手の日本がこのリスクを処理できるとは考えられない。しかし、これに反対する側はというと非常に弱い。「もっと外交的努力を」「より慎重な議論が必要」という綺麗事に終始している、というか逃げているのである。

しかし、もっと本当のことが語られなければならないのではないだろうか。つまり、北朝鮮のミサイルを脅威と考える限り、それによって一定多数の日本国民が犠牲になる可能性を受け容れるべきだということである。

そもそも北朝鮮の何が「脅威」なのだろうか。核兵器やミサイル、独裁体制などなどと答えるかもしれないが、それらは本質的な問題ではない。北朝鮮というか金正日体制が「脅威」なのは、彼らの意図や動機やわれわれにとって全く不可解で予測できないことにある。昨日笑顔で握手したと思ったら今日は平気でミサイルをぶち込んでくる可能性のある、そういう体制である。だから北朝鮮に対する「圧力」や「制裁」など、実のところ戦略的に言えば全く無意味なのである(国内世論向けにはある程度意味があるが)。もちろん逆の「太陽政策」も、同じ理由で無意味である。テレビのコメンテータなどは「北朝鮮には常識が通用しない」と非難めいた調子で言う一方で、その口の渇かぬうちに「断固とした姿勢を」や「外交的努力を」を語る。そして専門家が北朝鮮の「政治的意図」をもっともらしく解説する。彼らが「北朝鮮には常識が通用しない」の意味するところを、本当に理解してはいないのは明らかである。

だから「北朝鮮の脅威」を云々する政治家や専門家が国民に対して語るべきは、「最大限の努力はするが、日本国民に犠牲が出ることは現実的に阻止できる確実な方法は今のところない」ということを率直に認めることではないだろうか。そして、もしそうなった場合に政治家はいかなる対応をとるのか、またわれわれ国民は何をしなければならないのかという、具体的な方針や対策を示すことである。現在はミサイルの「暴発」を食い止める「外交的努力」や「圧力」による牽制は盛んだが、北朝鮮の恐ろしさはこうした「努力」や「圧力」にどう反応するが全く予測できないことにある。具体的に何をどうすれば北朝鮮はミサイルを引っ込めるのか、どのような具体的な利害のためにミサイルを発射しているのか、世界中の外交官や専門家ですら「・・・ということでしょうねえ」という憶測でしか北朝鮮を評価できない状態なのである。

そうである以上、政治家が行うべきは「外交的努力」や「圧力」よりも(全くすべきではないとは言わないが)、ミサイルが日本の領土に落ちた場合に具体的に政治家はどのような対応を国内と国際社会に向かってとり得るのかを考えていく以外にないはずである。もちろんミサイルが現実に打ち込まれる可能性は高くない。しかし、コストとリスクが莫大で成功の可能性も低い敵基地攻撃論などを語る前に、こうした地に足のついた現実的な対応を考えることが政治家の役割であるはずだろう。