福井総裁の辞任問題

福井総裁の辞任要求が高まっているらしい。私はこの問題で辞任すべきとは思わないが、やはり気が重くなるのは村上ファンドの理念に共鳴して投資していたという事実である。

村上ファンドは企業買収で騒いで株価が高くなったら売り抜けるという手法は、今は色々批判されている。会社は株主だけのものではなく、従業員とその家族、地域社会などによって支えられなければならない、というむしろ世間の常識に属するあまりに当たり前すぎることが改めて認識されはじめている。単調なまでの教科書的な「株主中心主義」を甲高い声で叫ぶ村上に、なぜ日銀総裁に就任することになるような人物が危険だと思わなかったのか。動機はともかくとして、そういう人物を支持していたという事実は、要するに福井総裁も経済というものを村上の言うような単調なものとしてしか考えてなかった可能性があることを示している。だとすると、経済的な合理性を理路整然と語られると途端に納得してしまう一方で、経済の周囲にある不合理極まりない現実の社会というものが全く見えてなかったということになる。

村上ファンドは「志は高かったのだが・・・」と言う人も若干いる。しかし本当に理想の高い人が、「法律に違反しなければいい」などという身も蓋もない論理を、あのように滔々と語れるわけがない。理想というのは、理想を語っている自分に恥ずかしくなり、論理の正しさを疑い、苦悩するという経験をする中で、ぽつりぽつりとしか語れないもののはずである。「株主中心主義」という明快かつ単純な理屈を露とも疑わない村上は、私に言わせれば志があまりに低すぎる。繰り返しになるが、こういう志の低い人物を日本経済のトップである日銀総裁が支持していたという事実は、やはり気を重くさせるものがある。