「格差社会」が流行する理由

先に日本では実態以上に格差社会論が流行していると書いたが、繰り返すようにこれは「格差社会」が幻想であるとか検討に値すべき問題でではないとという意味ではない。格差社会論が流行しているという厳然たる現実そのものこそが、まさに問題なのである。つまり、「どうして格差社会になったのか」という以上に、「どうして格差社会論が流行しているのか」という問いのほうがはるかに重要なのだ。格差社会という概念で現代社会の問題を整理されると多くの日本人が納得してしまうという事実、これこそが「格差社会」が抱えている根本的で深刻な問題だと考えるのである。

この理由については、確たる根拠はないが多分つぎのようなことじゃないだろうか。

①人々の驚きを喚起しやすい(ので本が売れる)
 6年前に佐藤俊樹『不平等社会日本−さよなら総中流』という本がベストセラーに近い売れ行きをしたが、私を含めてこの本を完璧に理解できたという人は少ないだろうと思われる。文章自体は易しく見えるが、論理についていこうとするとかなり頭を悩ます羽目になる(『桜が創った日本』もそうだが、佐藤氏の本は一見わかりやすそうに見えて実は難解である)。それなのに売れたのは、明らかに内容ではなくタイトルのお陰だろう。つまり、「一億総中流」という当時の(というかほんの5、6年前までの)「常識」をひっくり返すという、センセーショナルな驚きを喚起するものだったのである。内容的にはかなり手堅い(扱っている題材は必ずしも「堅い」ものではないが)実証研究だし、『現代日本の社会階層』という題名だったら、売れ行きは間違いなく半分以下だったはずだ。
 つまり実も蓋もない言い方になるが、格差社会論が流行しているのは「一億層中流」という既存の「常識」の真逆を論じているために、読者の新鮮な驚きを喚起しやすく、そのために本が売れたり視聴率が取れたりして、それに昨今の編集者やジャーナリズム、テレビプロデューサーが気づいたというだけなのである。もちろんその中には「格差」の現実に対する真摯な怒りも含まれてはいるが、それが受け容れられている構造には何の変わりもない。「一億総中流」言説がなければ格差社会論も当然流行しなかったに違いないのだ。格差社会論の流行は決して格差が存在しているという生の体験に基づいているのではない。佐藤氏によれば格差社会化は90年代の時点で一定程度進行しているのに、格差社会論が全く流行していないのがなによりの証拠である。

また続きます。