「格差社会」が流行する理由(2)

②共有された「豊かな暮らし」モデルの解体
 二つ目に考えられる原因としては、1990年代以降に「豊かな暮らし」に対するイメージが描きににくなってしまったことにある。
 これは色々な例を取り上げることが可能だが、ここではゴルフの人気低下を取り上げてみよう。団塊の世代以上の人はやたらにゴルフが好きなのに、30代以下の人はほとんどゴルフをしない理由が最近なんとなくわかってきたが、ゴルフは「豊かな暮らしをしている」ことの一つの社会的な証明物なのである。ゴルフクラブは一式20万はするものであり、ゴルフコースは一回りすると1万円する。これは決して安くはないものの、平凡な人でも会社に勤めてコツコツためた貯金でそれなりに可能な範囲の趣味であると言う意味で、「豊かさ」の象徴としてうってつけのスポーツだった。ゴルフの本場も、かつて日本にとって「追いつけ追い越せ」の目標だった欧米で、イメージ的にもいかにも「高級」そうであり、日本が貧乏だった時代の経験のある団塊世代以上の世代にとっては魅力的である。
 逆に言えば、欧米並みに経済的に豊かな社会を生きてきたその子供の世代にとっては、ゴルフは何の社会的な意味もないオジサンの俗物趣味である。今の若い世代に比較的支持されているスポーツはサッカーだろうが、これは数千円もしないボールを一つ買えばこと足りるスポーツであり、「豊かさ」の象徴には決してなり得ない。また、サッカーの選手は他のプロスポーツに比べてもそれほど高給取りではないし、いわゆる発展途上国でもサッカーの強豪国は存在している。つまり、ゴルフに象徴されるような「豊かな暮らし」は、今の30代以下の人にとってはほとんどイメージできない、という以上に魅力的なものではないのである。
 つまり、「格差社会」の言説が一斉に受け容れられたのは、現実に経済格差が広がったからと言うよりも、若い世代にとって目指すべき「豊かな暮らし=中流」を何かを具体的な何か(自家用車からゴルフに至るまで)に仮託できなくなったこと、また右肩上がりの経済成長神話が崩壊して、そもそも「豊かな暮らし」自体が目指すべきものでもなくなった、という「中流社会」の現実性を演出していた装置が失われていったことが背景にあるのである。

③「人生の上向き」が実感できなくなった
 佐藤俊樹が『不平等社会日本』で言いたかったのは、単に「格差が広がっている」ではなくて、「格差が固定化しつつある」ことが「一億総中流」を解体しつつあるということであった。これは言い換えれば、格差が広がったというよりも、「生活が上向いている」と感じられる人が著しく減少したことが、格差社会論の流行を招来していると言うことができる。
 もちろん、団塊世代以上の人にとっても、農家の息子と大学教授の息子では人生上のキャリアにの違いに大きく影響することには代わりがなかった。しかし昔は、テレビもなくそれこそ自然に囲まれて子供時代を送った地方の農家の息子が、断片的な写真や想像上の存在だった東京という大都会に集団就職したり大学に進学したりすることは、「人生が上向いている」ことを実感させるのに十分だった。またサラリーマンになって給料を貰い、その一部を田舎に仕送りするというパターンが昔は多かったが、これも子供時代から比べれば生活が「人生が上向いている」ことを実感させるものだった。
 1970年代以降に生まれた世代には、こうした経験はほとんどなくなった。サラリーマンの家庭に生まれ、団地に住み、テレビやゲームに囲まれて過ごすという子供が圧倒的になった。どこの地方都市も東京の縮小版みたいになり、コンビニやマクドナルドが田舎町にまで進出するようになるなど、東京だけにしか(あるいは地方だけにしか)存在しないものは少なくなくなった。また東京はテレビで(ある意味で地元の風景以上に)見慣れている存在であるので、東京の大学に進学したからといって過剰に身構えたり興奮したりすることもなくなった。就職してみれば、会社で既に出世している親と同じサラリーマンで、それよりもはるかに少ない給料を手にすることになる。こういう人生経験の中では、「人生が上向いている」という実感はほとんど得ることができない。おそらく「勝ち組」と言われるような人も、こうした実感はほとんど希薄であろうと思われる。
 「人生が上向いている」という実感を得てこなかった、ということは漠然と「現実の格差はどうせこのまま続くだろう」と考えやすくなるということであり、また「別に上向きにならなくてもいい」と諦めやすくなるということである。若い世代のこうした実感が「格差社会」の言説を生み出し、また現実の経済的な格差をも生み出している可能性がある。ホリエモンこと堀江容疑者が、その敵対者であるべき低所得の若者層から支持されたことを不思議がる人が多いが、今の若い世代は彼のような「勝ち組」になりたいとはほとんど思っていないので、嫉妬も反発も起こりようがないのである。むしろ、国民新党社民党共産党などのように、「中流」化を相変らず目指そうとする政治家などに対する嫌悪感の方が強いのではないだろうか。特に左派政党は労働組合を支援しているが、現在の「正社員」の給料や待遇を維持しようとして、若い世代の雇用の減少や「非正社員」化を促進するという結果を招いている。

 まだ続きます。