これが不祥事?

また同じようなことを書かなければならないのは残念だが、この数年と言うか高野連会長が現在の人になってからというもの、巨大な「不祥事」が続々出ている。繰り返すように、10年前だったらこんなあまりにありふすぎている問題が「不祥事」になるなんてことはなかったろう。最近の「不祥事」は、甲子園出場辞退とかになるわりには、その内容が指導者が部員を殴ったとか、飲酒喫煙だとか、昔からどこの部活動にもつきものの問題で、ある種の異常な雰囲気を感じる。

私はどちらかというと真面目な進学校に在籍していたが、それでも煙草や酒、万引きは別に珍しいことではなかった。だいたい、万引きみたいなケチな犯罪は金のない高校生がするもので、卒業してバイトしたり仕事に就いたりすると、自然とやらなくなるものだという理解があった。デーブ大久保の自伝を読むと、高校時代は酒と煙草と喧嘩に明け暮れて有名だったらしいが、今だったら退学処分になっているはずである。はるか昔になると、大沢啓二は試合中に審判を殴って出場停止処分をくらったことをよく語っているが、それくらいの明白な「悪」をしないと昔は厳しく処分されなかった。大沢もその後、その暴力事件を聞いた立教大学の野球部員から、「そういう元気なやつはウチの大学にほしい」といわれて立大に入れたということだから、昔の日本はよくも悪くもいい加減で活力があった。

今回の問題で、なぜ警察は懇々とこっぴどく説教とした上で、「選抜もあるだろうし、学校には黙っているから、今日は大人しく帰れよ」と言わなかったのだろうか。高校生(しかも引退した3年生)の飲酒喫煙など普通すぎることであり、そんなことで選抜出場停止になるなんていう大事になるのは、あまりに馬鹿馬鹿しいという「常識」は、どうして大人たちに働かなかったのだろうか。昔も飲酒喫煙などで対外試合禁止処分などはあったが、だいたい夏の予選までにはなぜか処分が解けるようになっているという配慮があったし、甲子園の辞退などはまずありえなかった。辞退する場合は窃盗や傷害事件など、もっと直接的な犯罪の場合に限られていたように思われる。

警察は正義と思って元部員をしょっぴいたのかもしれないが、私に言わせればこういうものは正義とは言わない。「違法は何があっても一律に罰しましょう」という単なる官僚根性、優等生根性である。自らの常識や信念に照らして判断せず、機械的に法律の規定に頼ることが「正しい」と錯覚している。しかもこの錯覚が概ね世間から支持されているようなのである。これは単に高校野球ファンとしてだけではなく、日本社会の空気としてそら恐ろしいものを感じる。ホリエモンのような違法スレスレの「常人にはできない大きな悪」にはなぜか妙に寛容だったのに、未成年の飲酒喫煙という「だれもが経験しているような小さな悪」に不寛容というのは明らかに不健全な社会であると、敢えて言っておきたい。