杉村太蔵議員のブログ

http://sugimurataizo.net/

久しぶりに杉村太蔵議員のブログをみたらびっくりした。

このこなれた文章は一体なんなんだろうか・・・。気味が悪かった。半年前のブログを覚えているが(その痕跡は見事に消されている)、ほとんど大学生の単位用レポートで、中身のまるでない文章だった。あの稚拙きわまりなかった文章がいきなりここまで手馴れた感じになるわけがないから、書いているのが杉村議員だとしても、相当な「指導」が入っていることは間違いない。断言するが、杉村議員がこんなブロガーのベテランのような文章を書けるわけがない。書けるのであれば、私が衆院戦直後に見たブログでも書かれてあったはずであるが、こういう文章をかけそうな雰囲気はこれっぽちもなかったことは、かなりの自信を持って言える。

まあ、それも一応自民党の広報的な戦略として認めた上で、やはり許しがたいものを感じるのは、「小泉改革による景気回復がニートやフリーターを救う」という論理を、「ニートやフリーターの味方で同世代」に語らせていることである。これがとんでもなく間違っていることは、そこらへんの新書でも少しかじって読めばわかることである。古い大企業は「徹底した人員削減」に迫られて新卒をぎりぎりまで選り好みするし、社員を多く採る新興企業では数年で辞める社員が珍しくない状態である。どっちにしろ、「別に仕事にNo1になりたいと思っていない」というありきたりな人にとっては、生きにくいには変わりがないのであり、これが「フリーター」「ニート」「ひきこもり」へと否応なく「選択」させていると考えるべきだろう。

小泉改革の方向性では、「出世など目指さず適度に働く」ことはなかなか許されない。それが嫌な人は当然ながら、フリーターやニートにでもなるしかないのである。厳しい「自由主義的競争社会」では、彼らのような存在はほとんど必然であり、こういう人々を少なくとも「真っ当」なものとして扱うのが政治の役割である。しかし、結局杉村議員のブログはフリーターやニートの味方だとか言っておきながら、彼らの存在を非社会的なものとして扱い、解消すべき対象と考えている点でそもそも問題を見ていないに等しい(ニートの概念については、その「非現実性」についていろいろ批判があるようだが)。

自信をもって断言するが、杉村議員のブログの結論とは全く逆で、景気が回復してもフリーターやニートと呼ばれるような人々は絶対に減らない。東横インでも指摘されている問題だが、今景気がいい企業の多くが低賃金で少数の労働力を目一杯働かせている企業である。中小企業レベルでは特にそうだろう。こういう構造自体を変えなければ、フリーターやニートなどが「解消」するはずがない。解消できないのであれば、せめて彼らの社会的な存在や生き方を「待ち組」などと負のレッテルを貼らず、現代社会において当然のものと認知したうえで対処していくことが政治の役割のはずである。