「待ち組」がなぜいけないのか

http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/seiji/20060205/20060204i115-yol.html

このニュースに腹が立った。猪口邦子大臣によると「待ち組」がいけないらしいが、なぜいけないのか。だいたい競争に参加しても「勝つ」、具体的には年収一千万以上を稼げる人はのはせいぜい2割である。そんな競争に参加して「勝とう」と思うほうがおかしい。「待ち組」が増えるのは、競争に参加しても「負ける」確率のほうが圧倒的に高いからであり、また「勝ち組」自体が今の若い人にとって特に羨ましいものではなくなっているからである。

猪口大臣の持論だと専業主婦や専業主婦に収まりたいと思っている女性、そうでなくても向上心がなく仕事をダラダラしている女性はケシカランということなのだろうが、ほとんどの仕事は単調で中身は退屈で、単に生活や世間体のために仕事をしているという現実を見ようとしていない。今就職した若い世代の悲鳴は「就職したけど給料は上がらないしサービス残業ばかりさせられる。会社も嫌だったらやめればという態度」というものである。そういう現実を少しでも知れば、「死ぬわけじゃないなら別に競争したくない。負け組フリーターでもいい」と考えるのが人間の自然な感情と言うものだろう。自由競争社会にしたいのなら、そもそも競争に参加したくない「自由」を行使している「待ち組」は当然ありうるべき人生の選択肢と考えるべきである。

猪口大臣は自分は弱者に優しいと考えているかもしれないが、少子化対策にしても、やっていることは「生き生きと働ける能力と向上心のある人」を基準にした政策である。臆病で怠惰で優柔不断で劣等感の強い、決して少数ではないごくごく普通の人々に対して、どうも彼女は非常に厳しい態度で接しているように思われる。厳しいと言うよりも、人間とはそういうものだという想像力が欠けているのだろう。キャリア女性としての道を歩んできた彼女の人生では、周りにそうした「弱者」はほとんどいなかったに違いない。小泉首相を筆頭に現政権はなにかにつけ、「競争社会にぶちこめばみんな元気になる」という無根拠な楽観主義がある。現実の壁と格闘するのではなく、その横をすり抜けてそもそも壁などなかったかのように見せてしまう。

一体小泉政権の下で、税制も年金も福祉も何か根本的な改革がなされてきただろうか。せいぜいちょっとした手直しであり、やったことといえば無目的な「規制撤廃」だけである。むしろ「抵抗勢力」への対決的な姿勢を強く打ち出すことで、制度の実体的な改革がなされているか否かが後景に引いてしまった。明らかに税制・年金改革では優れていた民主党は無残なほどの大敗を喫してしまった。私に言わせれば、この点では公共事業による景気回復で改革を先送りできると考えてきたかつての自民党と、さほど違いはないのである。