下流社会

ベストセラーになっている三浦展下流社会』――流行の格差社会論の便乗本以上の何かがあるとは思えないのだが――を読むと、「自分らしさ」にこだわる人は「下流社会」の人間になりやすい、と書かれてある。一応アンケート結果に基づいているんだけど、どうも納得できない。

自分の実感から言っても、「自分らしさ」に対する価値は現代日本で普遍的なものである。おそらく「上流」なのであろう堀江社長の言動を思い浮かべても、「自分のしたいことをしているだけ」という趣旨の発言が目立つし、企業人も一般的に「自分のやりたいこと」を若者に要求しているように思われる。今に始まったことじゃないがポップスの歌詞でも「自分らしく」はよく使われるフレーズである。就職面接でも「自分が何をしたいのか」をそれこそ徹底的に問われる。いろいろ考えると、「自分らしさ」をうまく出せる人間のほうが、どっちかと言えば「上」なのではないだろうか?少なくとも、この本はこうした漠然とした実感を覆すほどのことは言っているようには思われない。というより、自分の実感や経験とアンケート結果を照らし合わせて、「こういうことじゃないかな?」と解釈を与えようとする思考の跡が感じられない。

そもそも自分らしさにこだわると本当に「下」になるのだろうか。おそらく因果関係は逆であると考えるべきだ。一応「下流」を30近くになってもひきこもりやニート、定職の当てもないフリーターや大学院生をやっている人だと仮定すると、自分らしさにこだわるから「下流」になるのではなく、今の自分の状態を「自分が好きだから」という言葉以外で説明できないだけではないだろうか。薄給でサービス残業続きで働いている人は、自分の状態を「一応仕事だから」「人に迷惑かかるから」「家族もいるし」と説明するだろう。つまり仕事をしていない人間は、自分の状態を社会的に弁明できる言葉として「自分らしさ」以外にない、ということなんじゃないかと思う。あまり自信をもって断言はできないけど。