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最近講談社から中国史シリーズが出版されて、最近完結したばかりである。
全部は読んでいないし、また読みきる自信もないのだが、専門研究の第一線の人が平易な文体で書いているだけあって面白いことは面白い。ただ大いなる不満のほうが大きい。それは社会経済的な背景がどの巻においてもほとんど言及されていないのである。半世紀を超える議論がある唐と宋の間の経済的な大変動の問題ですら、ほんのちょっと言及されている程度なのだ。だから面白いのかもしれないが、歴史がどういう方向で進んできたのかという解釈がほとんどなくて、歴史の見方が深まったという感じがしない。
昔は中国史に限らず、歴史記述はほとんど社会経済史と同義語だった。経済の発展や構造がどう歴史の展開に影響を及ぼしてきたのかという観点に沿って歴史が語られてきた。これはマルクス主義史観の教条主義的な適用が横行したこともあって、ある意味で読んでいて単調で退屈な歴史を量産してきたことも確かだが、どういう線に沿って歴史が展開しているのか、どうしてそのように展開したのかという解釈の方向性は少なくとも存在していた。
しかし現在は、歴史の大きな趨勢が何であったのか、どうしてこのような歴史的事実が起こりえたのかという解釈や因果関係をほとんど説明しないものが多い。かつても講談社は、日中国交回復直後の1978年ごろに『中国の歴史』シリーズを出版している。私は今読んでも、こちらのほうに大きな魅力を感じることが多い。かつて旧シリーズの春秋戦国時代の箇所を読み、農業生産の発達による旧貴族の没落と新興勢力の勃興、人的流動性の増大、都市や貨幣経済の発展などなどが秦の統一の背景にあることを知った。研究者の間では当たり前すぎる基本的な知識だったとしても、教科書と小説でしか中国史を読んでこなかった自分にとっては、政治史とは一見無関係な社会経済的な動きがいかに重要であるかを知って、大きな知的刺激を得た記憶がある。
しかし今回のシリーズでは、春秋戦国の箇所で「秦の統一イメージは現在の国民国家のイメージを投影しているにすぎず、実際は統一と言えるものではなかった」などという趣旨の文章があるように、既存の俗説的なイメージを偏見としてひっくり返すという手法が目立つ。春秋戦国を担当した人がとりわけ顕著で、前にも春秋戦国通史を書いていたが、『史記』の年代の整合性を長々と書いて従来の通説の誤りを指摘していた。学者としては優秀なのかもしれないし、また勉強になることもあるが、読んでて正直なところ気分が悪くなる。こういう手法があまりに多いと、「あなたのそういう議論も、将来は研究が進んで単なる時代の偏見だったということになっているかもわかりませんね」という突っ込みを入れたくなってしまう。記述と実証に終始するが、論者自身が拠って立つ歴史的な解釈の枠組みはほとんどはっきりさせない(させているつもりだろうが)。だから歴史がどう動いているのか、なぜそう動いたのかというメリハリのきいた叙述がなく、文章も内容も旧シリーズよりも平易な割には読んでて疲れるのである。
ちなみに以上の印象は2巻と10巻が中心になっている。もちろんこうした不満も、面白いということがあくまで前提である。まだまだ読み進めていないので、暇を見つけて読んでいこうと思う。